20年前はコスタリカでボールを追いかけ、今はカタールで手に職をつけ働いている。南米でプロサッカー選手としてプレーし、現在はドーハですし職人として活躍する林康太郎さん(41)は、不思議な縁を感じている。「サッカーが世界を広げてくれました」。

Jリーグができて6年がたった99年。林さんは南米ウルグアイに渡った。きっかけは、W杯でも審判員を務めた広島禎数さんが、母校・長野高でサッカー部の監督を務めていたこと。広島さんの紹介でウルグアイ・リーベル・プレートのテストを受け見事合格した。

「最初はすぐに帰りたかったですよ。当時はCDプレーヤーとか、珍しい服とか、寮の部屋からすぐになくなるんです(笑い)」。ひざをケガしたこともあり、その2年後、少しリーグレベルが下がるコスタリカへと渡った。

当時のプレースタイルは、パスでボールをつなぎ、守備的なサッカー。今のコスタリカ代表の戦い方にも通じている。しかし、グラウンドはボコボコ。必然的にロングパスとなり、こぼれ球を拾ってカウンターにつなげるのが主流だった。「特に地方のチームは、ちゃんと芝を整備するお金がなかったんです」。日本の恵まれた環境が身に染みた。

林さんは27歳の時に引退。その後、世界中を旅して各地の食事を楽しむうちに、第2の人生に選んだのがすしだった。すしチェーン「すしざんまい」で11年間修業後、UAE・ドバイへ。「カタールでW杯があるからドーハに行ってみないか」と言われ、19年8月から「Morimoto Doha」で活躍している。

南米に共通するのは底抜けの明るさだった。「明日はなんとかなるさ、みたいな感じでした。お給料をもらったら、その日で飲み食いして、お金を全部使っちゃうくらい」。中でもコスタリカ国民は穏やか。「ウルグアイは削り合い。プロ契約を勝ち取って欧州に行くんだと。比べてコスタリカは温厚でした」

W杯初戦でスペインに0-7で大敗したコスタリカ。「明日はなんとかなるさ」メンタルなら、完全に吹っ切れて、強敵になるかもしれない。しかし林さんは…。「コスタリカのメンバーは国内でプレーしている人が半数以上。ドイツ、スペインには戦い方を変えないといけないかもしれませんが、日本の戦い方を出せれば勝てるはずです」。ライバルも、開催地も良く知る職人が、日本の勝利を確信している。【磯綾乃】

◆林康太郎(はやし・こうたろう)1981年(昭56)5月8日生まれ、大阪府出身。長野高卒業後、ウルグアイのリーベル・プレートへ。コスタリカのサンタ・バルバラでプレーした後、グアテマラ、コロンビアと渡り歩き27歳で引退。現在、腕をふるう「Morimoto Doha」は、ブラジル代表FWネイマール、国際サッカー連盟のインファンティーノ会長らも訪れる人気店。妻はコロンビア人のイネスさん、2男3女。