これが“持っている”男の証しなのか、勝負師の勘なのか。西野朗監督が最初に打った手は、香川に代えて本田の投入だった。「人も代え、ポジションも替えないと…変化がないと崩れないと思っていた」。本田の同点ゴールはその6分後に生まれた。初戦コロンビア戦でも大迫の決勝ゴールは、アシストした本田の投入から3分後。西野采配、再びズバリ! 試合の流れを読み切り、追いついた。

 決して冷静沈着を保ち続けているわけではない。前半11分にミスが重なって失点した際はベンチ前で立ち尽くし、両手を腰に当て顔色をなくした。反対に、けがを抱えていたにもかかわらず信じて呼んだ乾が同点弾を決めたときはガッツポーズで喜び、選手とバチンバチンとタッチ。ピッチに足を踏み入れてしまい、目の前の審判に注意された。

 それでも「攻める」という意思は最後までぶれなかった。本田の後も岡崎、宇佐美を入れて決勝点を取りに行った。前日「多少のリスクがあっても、勝負を懸けなければならない」と腹をくくって言った。そこには「同じ轍(てつ)は踏まない」との思いがあった。

 「かつて、2つ勝っても上(決勝トーナメント)に行けなかった」。4月の就任会見で語った、96年アトランタオリンピック(五輪)での苦い思い出。初戦でブラジルを倒す金星を挙げたが、続くナイジェリアに0-2で敗れたのが致命傷になった。同じ構図にさせまいとする強い執念が、あのとき取れなかった勝ち点1につながった。

 ただ「勝ち切りたいゲームだった」とも悔やんだ。安堵(あんど)の表情は少しもなかった。第3戦を「敗者復活戦」と表現する。運命のポーランド戦。思いを聞かれると「ただ勝ち切りたいだけです」と言った。その目は、力強かった。【八反誠】