フランスが掲げる黄金色のW杯優勝トロフィーは、イタリア生まれだ。74年ドイツ大会から使用される、2人の競技者が地球を支えるデザインは同国の彫刻家シルビオ・ガッツアニガ氏(故人)によるもの。60年ぶりにW杯出場を逃したカルチョの国で、世界中のフットボーラーが憧れる宝物のルーツを訪ねた。【取材=西村明美通信員】

 W杯トロフィーはミラノ郊外の小さな町パデルノ・ドゥニャーノで誕生した。トロフィーやメダルを製作するG・D・Eベルトーニ社が生みの親だ。金、銀、真ちゅうなどを加工する工場として1900年代に創業し、60年ローマ五輪のメダルも担当した。同社のデザイナーだった故ガッツアニガ氏のデザインは7カ国から集まった53の候補から選ばれ、74年大会から採用された。4代目のバレンティーナ・ローザ社長(39)は「最初はサッカーボールを考えていたけれど、社長だった祖父がW杯だからと言って、地球にしたらしいわ」と説明した。

 06年ドイツ大会からデザインはそのままにわずかに大ぶりになり、現在は「3代目」となる。18金製で重さ6・175キロ、高さ36・8センチ。台座はマラカイトと呼ばれる鉱石で「緑色で芝生をイメージしたんじゃないかしら」とローザ社長。「2代目」の02年日韓大会までは優勝チームが持ち帰り、翌大会の抽選会でFIFAに戻していたが、06年大会からは選手たちがセレモニーで掲げた後、すぐに戻されている。母国に持ち帰るのは真ちゅうに金メッキを施した原寸大のレプリカ。「以前はトロフィーを抱いて寝たという話も聞いたわ。4年前までは小型のレプリカを選手たちに渡すことができたけど、それもなくなってしまったの」。

 ルイ・ヴィトン社製の専用ケースに入れられたトロフィーはW杯閉幕後の9月、美術品のように厳重にガードをつけた車で“帰ってくる”。台座の底に優勝チームの名前を刻印するためだ。06年優勝のイタリアはカンナバーロ主将が仲間に渡そうとした際に落としてしまい、凹んだため修復した。この修復や研磨、刻印、レプリカ製作も同社以外はできない。ある選手に「レプリカを作ってくれないか」と求められた別の会社が無断で作り、FIFAに訴えられた例もある。「誰が持っているか知っているけど言えないわ。作った会社も知っているけど…」とローザ社長。つまり“本物のレプリカ”も1大会につき世界に1つ。FIFAの方針でW杯トロフィーの権威は高まっている。

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 イタリア不在のW杯についてローザさんは「悲しかったし、信じられなかったわ」と言い、「でも今年はスペイン、ポルトガル、ドイツ、ブラジルと次々に重要なチームが敗退していった特殊な年だったわね」と自らを慰めるしかない。W杯に出られないイタリアの隣国同士による決勝。「やっぱりイタリアがトロフィーを挙げて欲しい」。いつか国名を台座に刻む日を夢見て仕事を続けている。