[ 2014年2月17日9時14分

 紙面から ]葛西(左)は、伊東(左から2人目)、清水(同3人目)、竹内に祝福される<ソチ五輪:ジャンプ>◇決勝◇15日◇男子ラージヒル(LH=HS140メートル、K点125メートル)

 7大会連続出場の葛西紀明(41=土屋ホーム)が、真の「レジェンド(伝説)」になった。ジャンプ男子ラージヒルで銀メダル獲得。1回目に139メートルで2位、2回目も133・5メートルで合計277・4点をマークし、冬季五輪の日本選手最年長メダルとなった。7度目で初の個人メダル。日本ジャンプ界のメダルは98年長野以来4大会ぶり。亡き母幸子さん(享年48)、病魔と闘う妹久美子さん(36)にささげるメダルとなった。

 130メートルを超えて着地した瞬間、伊東、竹内、清水がランディングバーンに飛び出してきた。事態がのみ込めずぼうぜんとする葛西に「ノリさんやりましたよ!」。次々と抱きつかれた。その時点で1位。個人のメダルが確定した。直後に飛んだ1回目1位のストッホに抜かれ2位になったが、初出場の92年アルベールビル大会から22年、初の個人メダルを手にし日本史上最年長メダリストが誕生した。

 競技後のフラワーセレモニーでは、表彰台に跳び乗った。「(出身の)下川の人が来てくれていたし、たくさんの人が応援してくれていた。今までやってきたこと、つらかったことも含めてうれしさを表現したかった」。体全体で、今の思いを表した。

 金メダルまで1・3ポイント。飛距離にして1メートルもない。うれしさより悔しさの方が心を支配した。大会当日の朝、金メダル獲得のシーンをイメージしていたら「涙が出た」。銀メダルでは、涙は流れなかった。「6対4で悔しい方が大きい。金メダルじゃない」と笑みを浮かべながらも心の中は複雑だった。

 W杯王者との息詰まる戦いだった。めまぐるしく変わる風に苦しめられた他選手を尻目に、1回目にお互い139メートルを飛んだが、テレマーク姿勢をきれいに入れたストッホにトップを奪われた。2回目は133・5メートル。最後に飛んだ王者が132・5メートル。飛距離で勝りながら、1回目の貯金で金メダルをさらわれた。「テレマークの差で負けた。個人戦の金メダルを取るのは本当に難しい」と痛感した。

 9日の個人ノーマルヒル(NH)で腰痛を悪化させた。前傾姿勢をとれないほどだったが、諦めるわけにはいかなかった。98年長野五輪。直前に足を捻挫し、エース格ながらNH7位。ジャンプ界の歴史に刻まれ続ける団体金メダルに名を連ねることはなかった。

 歴史的シーンはNHのランディングバーンから見た。何にも見えなかったのは雪のせいだけじゃない。大粒の涙がこぼれていた。「原田さん、船木、岡部さん、斎藤さんにはあって、なぜ僕には金メダルがないのか」。眠れぬ日々を何度過ごしたことか。

 所属先も3社目。不況、経営破綻、厳しい社会情勢に揺さぶられた。06年トリノ五輪後、世代交代が叫ばれた。その度結果を出し、周囲を黙らせた。20歳代で引退するジャンプ選手の中で二十数年、トップに君臨し続けてきた。そして、90年の歴史がある五輪ジャンプで最年長メダル。世界が「レジェンド」と呼ぶゆえんがここにある。

 最愛の妹久美子さんは今、病と闘っている。93年に再生不良性貧血と診断された。一時は回復したが昨夏、再入院した。「妹のために」は葛西の口癖だ。手首には妹からもらった数珠のブレスレットが常にある。

 今季も2度、病院に駆けつけた。大会直前には妹からLINE(携帯電話アプリ)で「絶対メダル取れるから何も心配せずに飛んで」と伝えられた。励ますはずが、いつも励まされる。「このメダルが勇気になれば」と心を込めた。

 長野五輪の前年、母幸子さんが放火に巻き込まれて亡くなった。母からもらった手紙をいつも持ち歩いていたが、今大会は持参しなかった。「いつも弱い時に頼っていたから」。強い自分を母に見せたかった。メダル獲得直後、姉紀子さんに電話を入れた。「取ったよ」。苦しみの方が多いジャンプ人生を家族がずっと支えてくれた。

 17日(日本時間18日午前2時15分)に団体戦がある。「金メダルを狙っていく」。今度こそ「感謝」を最高に輝くメダルに変えてみせる。まだ戦いは終わっていない。【松末守司】