4度目の世界選手権で初の入賞を目指していた川内優輝(32=あいおいニッセイ同和損保)は惨敗だった。2時間17分59秒の29位。前回大会で3秒及ばなかった入賞を目指し、公務員を辞め、覚悟を決めてプロになったが、奮わなかった。

川内 (上位と)離れてから押していくことができたが追い付けなかった。暑さ対策はいろいろやったが、イーブンで走れてもトップ選手のように走れず厳しい現実をつきつけられた。

通算98回目のマラソンとなった川内は、最初の10キロを31分56秒の46番手で通過。1時間8分2秒だった中間点は、52番手とさらに順位を落とした。30キロは1時間37分51秒の39番手と、やや盛り返したが、時すでに遅し。40キロは2時間11分12秒の30番手。まるで勝負にならなかった。目標の入賞には、争いに絡むこともできなかった。レースの国際映像に、その姿は映すことは、ほぼなかった。

17年ロンドン大会9位。最高の準備を整えたにも関わらず、入賞に届かず、公務員の生活に限界を感じた。昨年のボストンマラソンを優勝したことを契機に、プロへと転向を決断。練習量、ケアも含め競技に費やす時間が増えることで、自分の成長にも期待をした。「19年世界選手権入賞」「自身初の2時間7分台」「21年世界選手権メダル」など明るい未来像を描いた。しかし、最初の目標だった「19年世界選手権」で結果は示せなかった。公務員時代に出た世界選手権は11年大邱大会が18位、13年モスクワ大会が18位、17年ロンドン大会が9位。プロになって挑んだ初の世界選手権だったが、順位は過去最低に沈んだ。

準備は入念に整えていた。プロに転向し、勤務時間がなくなったことで、公務員時代にはできなかった月間1000キロを走破。涼しい北海道・釧路で長期合宿も組んだ。自身の想定よりスピードは上がっていなかったが、多くの距離を踏んだことの手応えは感じていた。6月にはドーハを視察。暑さへのイメージを高め、対策を練ってきた。深夜23時59分の号砲にも備え、ドーハ入り後は「昼夜逆転生活」。夜7時ごろに起床し、深夜1時ごろから練習。昼11時ごろに就寝する生活にした。

最善のベストは尽くしてきた。ただ、現実は厳しかった。