ついに日本マラソン界は2時間5分の壁も突き破った。鈴木健吾(25=富士通)が2時間4分56秒の日本新記録で初優勝。昨年3月の東京で、東京オリンピック(五輪)代表の大迫傑(29=ナイキ)がマークした従来の記録を33秒も更新し、自己ベストも5分以上塗り替えた。世界陸連の公式サイトによると、世界に58人しかいなかった2時間4分台のランナーに仲間入り。この58人はアフリカ勢とアフリカにルーツを持つ選手で、鈴木のタイムは世界でも価値を持つ。1億円の報奨金もなく、東京五輪にも出られない。だが、大阪マラソンと統合され、最後のびわ湖開催となった大会で、歴史的な記録が刻まれた。

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2時間4分台-。日本選手未到の領域に、鈴木はあっさりとたどり着いた。フィニッシュテープの直前でサングラスを取る。両腕を突き上げて、栄光のテープを切った。そして一礼。倒れ込むことも、息を切らすこともない。白い歯を見せながら、余力十分の様子で、インタビュー台へ歩いていった。「すごくびっくりしている。こんなタイムが出るとは」。無理もない。湖畔を走るコースは風が強く、記録が出にくいと言われてきた。従来の日本勢最高は2001年に油谷がマークした2時間7分52秒。何より自己ベストは2時間10分21秒だった。

偉業へのカウントダウンはミスから加速した。36キロ付近の給水。ボトルを取り損ねた。少し「しまった」とも思ったが、喉は渇いていない。ずっとライバルの様子は観察していた。覚悟を決めた。給水は走りのリズムが変わる時。一気に仕掛け、カリウキ、土方を置き去りに。計算外を勝機に変えた。ひとり旅となってからは沿道の声が耳に入る。「日本記録行けるぞ」、「5分切れるぞ」。それが力となり、自己記録更新だった目標を、大幅に上方修正。35キロ以降に大幅ペースアップ。課題だった後半の失速は、独自の筋力強化メニューを作ってもらい克服し、強みとしていた。

この記録の重みは、日本だけにとどまらない。過去に2時間4分台を出した選手はアフリカ勢と、アフリカにルーツを持つ選手だけ。その領域に初めて、名を連ねた。この事実も、世界歴代57位タイという称号以上の偉業であることを物語る。「世界は1分台、2分台の人がいっぱいいる。その中で戦えるかは分からない。その差を少しでも埋められるように」と語った。

東京五輪では1万メートルの代表入りを目指した時もあった。だが、昨年12月の日本選手権の同種目33位で「トラックでは勝負できない」と痛感させられた。24年パリ五輪マラソン代表を狙う方向に変えた。そこでの完敗で出場を決め、一般参加選手で走った42・195キロで、日本記録保持者になった。神奈川大3年時の箱根駅伝で「花の2区」の区間賞を取っているが、「今まで華やかにきていないので、これからもコツコツ。このタイムにおごらずに走りたい」。心構えは謙虚なまま。「今回も、たまたま勝ったようなもの」。東京の先にあるパリへと続く道。足元を見つめながら、進んでいく。【上田悠太】

○…日本で一番長い歴史を誇る、びわ湖毎日マラソンは第76回で区切りを迎えた。22年からは大阪マラソンと統合され、大阪に舞台を移して開催される。幾多の名勝負を生んだが、滋賀での最後のレースだった。現在は大規模の都市型マラソンが世界的な主流。スポンサー獲得の面でも優位だが、びわ湖毎日は交通事情を中心に大規模市民マラソン化が困難。有力選手の参加も減りつつあり、採算性も含め、大会の在り方が問われていた。

<鈴木健吾(すずき・けんご)>

◆生まれ 1995年(平7)6月11日、愛媛・宇和島市生まれ。

◆経歴 城東中、宇和島東高、神奈川大、富士通。

◆競技 全国高校駅伝に出場経験のある父和幸さんの影響で、中1の時に本格的に始める。中学の間、休日は和幸さんの運転するスクーターを追い、海岸線を10キロ走ることを続けた。

◆自己記録 5000メートル13分57秒88、1万メートル27分49秒16、ハーフマラソン1時間1分36秒。

◆シューズ ナイキの厚底。

◆箱根駅伝 1年時6区19位、2年時2区14位、3年時2区区間賞、4年時2区4位(順位は区間)。

◆ソフトボール 小学校5年までプレーし、主に9番一塁。

◆好きな食べ物 焼き肉、すし、みかん。

◆好きなこと ショッピング、お魚観賞。

◆血液型 B。

◆サイズ 身長163センチ、体重48キロ。

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