陸上の男子長距離界をけん引してきた福岡国際マラソンが5日、長い歴史に幕を閉じた。1947年(昭22)にスタートしてから75回。博多駅前には歴代優勝者の足形が飾られ、師走の風物詩として親しまれてきた。過去には世界記録も生まれ、瀬古利彦や宗茂、猛兄弟ら国内トップ選手が日本代表の座を懸けてしのぎを削った。

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【特集】瀬古、宗兄弟、イカンガー、中山らが名勝負/紙面で見る福岡国際マラソン

びわ湖毎日に続き、伝統ある福岡国際が消滅した背景には、市民ランナーも参加できる大規模都市型大会の隆盛がある。ボストン、ニューヨーク、ロンドンという大会を模して、07年に東京マラソンが始まった。高額賞金が設定され、起伏が少ない高速コースもあって、記録狙いの有力選手はそちらに流れる傾向が強まった。3万人規模の参加料に加え、広告効果の高さも相まってスポンサーが集まるメジャー大会へと成長した。

一方のびわ湖毎日、福岡国際という伝統的な大会は、参加記録が設定された「エリートレース」。加えて日程面もマイナスへと働いた。びわ湖毎日は後発の東京とあまりに近く、12月開催の福岡国際についても、元旦に地上波で長時間放映されるニューイヤー駅伝の前とあって、実業団トップ選手は参加しづらくなっていた。有力選手不在で注目度は下がり、財政難に直面していた。

近年、東京の成功例から国内各地にも同様の大会が定着している。福岡国際も生き残りを模索したが、数万人規模の大会の実施は難しかった。皮肉にも、世間のランニングブームに押しつぶされる形となった。【佐藤隆志】