アイルトン・セナ

ホンダが日本でF1初勝利した88年日本GP。本田宗一郎最高顧問の肩を抱き握手するアイルトン・セナ
ホンダが日本でF1初勝利した88年日本GP。本田宗一郎最高顧問の肩を抱き握手するアイルトン・セナ

史上最高のF1ドライバーで、古舘伊知郎が〝音速の貴公子〟と名付けたアイルトン・セナ。F1では唯一公道を走るモナコGPで5連覇含む6勝を挙げ、同レース最多の勝ち星を記録している。1991年、開幕から4連勝しモナコ3連覇した時のコメントが上記の名言である。「勝つことが、私の使命なのだから」と続けている。天才といわれるが、それ以上に完全主義者でもある。油圧や回転数などマシンやエンジンだけでなく、ドライバーとの距離差、タイム差、自身の脈拍数に至るまで「勝つ」ための努力と注意を怠らない。不測の事態に対応する技術も持っていたが、94年5月1日「イモラの悲劇」が起こってしまった。速報する新聞記者、テレビ局員らも泣きながら伝えた。(/_;)

<F1・1991年5月14日掲載>