米国で大流行しているラケット競技「ピックルボール」のメジャーリーグ(MLP)で初の日本人選手となった船水雄太(32)が、9日の日刊スポーツの単独インタビューで「ピックルボール界の大谷翔平になる」と宣言した。幼少期からソフトテニスに打ち込み、2024年から本格的に転向。単身渡米で逆境にも立たされたが、独自のスタイルを貫き、最高峰の舞台まで駆け上がった。7月にはメジャー選手として初めて日本開催のツアー戦に挑む。
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ラリー時に奏でる心地よい音は、未来の日本人ピックルボーラーたちの道しるべとなっている。
バドミントンのコートと同じ広さで「パドル」と呼ばれるラケットでプラスチック製の穴あきボールを打ち合う競技。米国では競技だけではなくアウトドアの一つとしても楽しまれている。
5月10日に米カリフォルニア州のサンクレメンテで行われた世界最高峰ツアー大会「プロフェッショナル・ピックルボール・アソシエーション(PPA)ツアー」。
男子ダブルスでタマ・シマブクロ(米国)とペアを組んだ船水は、日本人初のツアータイトルを獲得した。
1週間前に最高成績をマークしたアトランタ大会4位に続く快進撃となった。競技を本格的に開始してわずか2年で日本人男子初のアジアランキング1位(男子ダブルス)にもなった。
「これまでの2、3年の時期が報われた。今回優勝ができて『日本人が世界で活躍できる』ところを証明できたのは非常にうれしかった」。
5歳からソフトテニスに打ち込んだ。高校、大学、実業団では各カテゴリーの日本一を総なめ。大学時代には世界選手権の国別対抗戦優勝にも貢献した。
ピックルボールと出合ったのは、実業団からプロ転向をした20年。新型コロナウイルス禍の影響で2年間も大会機会に恵まれず、ソフトテニス選手として「世界一」への夢が断たれそうな時だった。
「今、スポンサーをしてもらっている(ビズリーチなどを展開する)ビジョナル創業者の南壮一郎さんから『コロナの時期に伸びたピックルボールがある。そっちの方に挑戦したら面白いかもよ』という話をされてそこでピックルボールを知りました」。
トップ経営者の提案をヒントに自らSNSで当時のピックルボール界の日本チャンピオンにも連絡を取った。ルールや基本動作も学ぶ中、ソフトテニスで培ったラケットの感覚や技術がハマったという。
23年には本場米国で合宿する機会にも恵まれ、現地での熱狂的なブームに衝撃を受けた。そこで船水は単身渡米を決める。
「ロサンゼルスで合宿をやった時、平日朝、夜、土日もコートが埋まって取れないぐらい人がわんさか来る。ビバリーヒルズや富裕層の中でもピックルボールコートを持つことがトレンドになっていた」。
船水の中で何かがはじけた。
「実際に行って、見た時、『これはもう遅かれ早かれ日本に来る、アジアに来るな』って思った。アメリカの文化として根づき始めているところを体感してこれはもう行くべきと思って腹をくくった」。
四半世紀にわたったソフトテニス人生に別れを告げ、固い決意とともに24年1月に太平洋を渡った。
無限の可能性を秘め、夢にあふれた米国での生活。しかし、最初に待ち受けていたのは「洗礼」だった。
「あっちではもう文化として根づいていた。『アジア人、日本人には無理だ』とか『アメリカに勝つのは難しいよ』といろんな人に言われてきた」。
特に指導者や選手から指摘されたのは、ソフトテニス仕込みの戦型だった。
ピックルボール転向後も船水が強みにしてきたのは、ソフトテニス式のボレー。パドルの片面だけを使い、垂直に保って打ち返す。
「他の人と違って世界に1人しかいないスタイル。相手からするとかなり前からボールが飛んでくる」と船水は語る。
しかし、パワーやスピードで押し切るテニスとは異なり、正確なボールのコントロールとポジショニングが勝負の鉄則という本場米国では邪道とされた。
独自の戦型では練習相手にもならないこともあり、「アマチュア(の選手)にも本当にバカにされたり、仲間外れにされてきた」と苦い過去を振り返る。
コーチからも「直せ。やめろ」と言われ、ラケットの持ち方から指導されたが、船水は折れずにコーチを説得。自分の手で道を切り開こうとしてきた。
しかし、「郷に入っては郷に従え」ということわざもある。ピックルボールではダブルスが主流とされているため、ペアを見つけるためにも異文化との調和は不可欠だった。
船水自身もジュニアアカデミーの練習に混ぜてもらいながら基礎をたたき込んできた。
渡米から1年後、異国の地で積み重ねた努力は実を結んだ。
昨年3月、MLPクラブの「マイアミ・ピックルボール・クラブ」からドラフト指名。日本人メジャーリーガー第1号が誕生した。
その後はレギュラー選手として定着し、クラブのプレーオフ進出に貢献した。船水の真骨頂であるソフトテニス式のボレーは「THE YUTA(ザ・ユータ)」と名付けられるほど個性の1つにもなっている。
昨年には野球大リーグ・ドジャース大砲であるムーキー・ベッツの家に招かれ、一緒にピックルボールを楽しむ機会も得た。日本人初のピックルボーラーの敬意を込めたのか。「お前は野茂英雄だ!」と日本球界からやってきたパイオニアと重ねられたという。
米国で過熱する新感覚のラケット競技。しかし、日本ではまだ人気スポーツとは言いがたい。また、指導者も少ないため、競技の振興・普及はまだ始まったばかりだ。
トッププレーヤーとなった船水だが、今度は「伝道師」としても活躍の幅を広げようとしている。
6月28日には千葉県で日本のピックルボール選手や愛好家向けのクリニックも実施予定。さらに7月1日からはツアー大会「PPAアジア500東京オープン」でメジャー選手として初の日本開催の試合に臨む。
「日本人として競技の顔になるところで言うと、ピックルボールの大谷翔平になるのが目指すべき姿」と語った32歳は日本での凱旋(がいせん)試合にこう意気込んだ。
「アメリカ本場でもまれて培ってきた心技体やピックルボールを日本、東京で見せたい」。
母国での競技の発展を願い、パドルで夢を描き、次世代ために道を切り開く。
◆船水雄太(ふねみず・ゆうた)1993年(平5)10月7日生まれ、青森県出身。5歳からソフトテニスを始め、東北高時代に全国高校総体団体・個人2冠。早大4年時は世界選手権代表として世界一を経験。実業団のNTT西日本では日本リーグ10連覇を達成。20年からプロ転向した。24年1月に単身で渡米し、ピックルボールに挑戦。翌年からメジャーリーグ(MLP)のクラブと契約し、日本人初のMLP選手となり、転向2年目には海外ツアーで初タイトルを獲得した。178センチ。
◆ピックルボール 米国発祥のスポーツでバドミントンと同じ広さのコート内で、パドルというラケットを用いてプラスチック製の穴あきボールを打ち合う。競技人口は2000万人を超えており、すでに米国ではプロリーグが立ち上がるほど急成長している。日本では国内調査によると、競技人口が約33万人に増加するなど注目を集める。


