JR博多駅から小倉へと向かう電車の中で、この記事を書いている。

 女子ゴルフツアーのほけんの窓口レディースが、福岡カンツリー倶楽部(CC)和白コースで開催されている。取材へ向かう朝、車窓を眺めていると、ふと、5年前の記憶がよみがえってきた。

 2013年5月12日。この日と同じように、汗ばむような、よく晴れた日だった。サッカー担当だった私は、レベスタで行われていたJ2リーグ戦のアビスパ福岡-ガンバ大阪の試合を見ていた。午後1時開始の試合。前半が終わる頃、携帯電話に1通のメールが届いた。

 嫌な予感がした。

 メールを開くと、こう記してあった。

 「今、お父さんが亡くなった」

 記者席を離れ、すぐに電話をかけた。川崎フロンターレに在籍する大久保嘉人は、泣いていた。

 3-2でG大阪が勝った試合の取材を済ませると、原稿を抱えたまま、急いで小倉行きの電車に飛び乗った。あの日の景色は、5年が過ぎた今日も、変わっていなかった。

 タクシーで大久保の実家から近い葬儀場へ向かう。長い闘病生活の末に旅立った父克博さん(享年61)の亡きがらは、既に病院から移されていた。

 大久保はいつまでも、その側から離れなかった。

 しばらくすると、1枚の紙を見せてくれた。それは、父が最後に残した言葉だった。

 「ガンバレ 大久保嘉人

 日本代表になれ

 空の上から見とうぞ」

 父が亡くなった1年後の2014年5月12日。W杯ブラジル大会のメンバー発表で、大久保はその遺言の通り、日本代表に復帰を果たした。

 父の他界から5年、サプライズ選出からは4年が過ぎた。今季のJ1リーグ戦は2得点。先発を外れることもあり、2年ぶりに復帰した川崎で、目立った活躍はできずにいる。

 そんな今だからこそ、心を奮い立たせてもらいたくて、このコラムを書いた。

 「空の上から見とうぞ」-。

 きっと、父は見ているから。

 今から8年前のこと。10年W杯南アフリカ大会の前、取材のために小倉の実家を訪ねた。入院中だった克博さんは、一時退院をして、私を待っていてくれた。肺を患っていたため、呼吸をするのも困難だった。鼻からチューブを入れ、酸素吸入する姿は痛々しかった。それでも、「嘉人のことなら」と4時間近くも話し続けてくれた。夕方になり、病院に戻る時間になった。最後に紙をとると、W杯に挑む息子へ、メッセージを書いてくれた。

 弱々しい文字で、ゆっくり、ゆっくりとペンを動かした。

 「努力」

 それは、子供の頃から、うるさいほどに、息子へ言い続けてきた言葉だった。

 「努力をしろ」

 「手を抜くな」

 「FWならゴールを決めろ」

 「諦めるな」

 もうすぐ、W杯がやって来る。大久保は6月で36歳になる。普通の選手であれば、引退が頭をよぎってもおかしくない年齢になりつつある。3大会連続のW杯メンバー入りは難しいだろう。

 それでも、まだ、輝く姿が見たい。私だけでなく、天国の父もきっと、そう思っている。


 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。京産大から00年大阪本社入社。プロ野球阪神、五輪、サッカー担当を経て、昨年からゴルフ担当。サッカーW杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会を取材。