ぼんやりとインスタグラムを眺めていると、心なしか「55satoko」のアカウントからの投稿を見ることが増えた気がする。

フィギュアスケート女子で18年平昌五輪4位入賞の宮原知子さん。24歳になった3月26日、彼女は現役引退を表明した。

そこにはこう記された。

「私の中で悔いはなく、やりきったという気持ちでいっぱいです」

全てを出し尽くしたことが伝わってきた。

同時に思い出した話があった。

4年前の平昌五輪シーズン、京都・立命館小学校在籍時の担任の先生に話を伺う機会があった。

「彼女が書いている物を見ると、意志が感じられるんです。『芯をものすごく持っている子だな』と思いました」

当時の取材メモに、そんなコメントが残っている。

立命館小学校では毎日、宿題が出されていた。基本は漢字、算数、そして日記。日記はノート1ページ分、その日あった出来事を自由に記すスタイルだった。

宮原さんの日記の締めには、特徴があったという。

「今日は○○をしました。……。今度はもっと○○を頑張りたいと思います」

「今日は体育の授業で○○をしました。……。次はチームワークを生かして、もっと勝てるようになりたいです」

ぎっしりと書かれた日記の締めには必ず、未来への抱負があった。学校生活、勉強、スケート…。テーマは日によって違ったが、日記が「楽しかったです」で終わりの日はなかったという。卒業後に毎年届く年賀状を見ても、先生は「あっ、また目標で終わっている」と感心していたという。

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私が17年に担当になってからの取材も、過去の日刊スポーツ紙面に記されていたコメントも同様だった。

◆15年12月 全日本選手権2連覇

「強い選手がたくさんいる中で、また優勝できて、すごくうれしいです。もう少し点を出せれば良かった。もっともっと自分に自信や迫力をつけて、今以上の演技をしたいです」

◆16年12月 全日本選手権3連覇

「『勝ちたい』と思った場面でしっかり勝つのが本当の金メダリストだと思います。強い人になりたい。全体的にスピードがなかったので、もっといい演技がしたかったです」

◆18年2月 平昌五輪4位入賞

「みんなすごくいい演技で『やっぱり勝つにはもう1歩だな』って、最後の最後に滑っている時には感じていました。悔しい気持ちもありましたけれど『もっと頑張るしかないな』って思いました」

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理想をとことん追求する姿勢は、知らぬ間に、後輩にも好影響を与えていた。

今季の北京五輪で銅メダル、世界選手権初優勝と輝いた坂本花織(22=シスメックス)は笑顔を見せつつ、そのすごみを明かした。

「知子ちゃんって『本当に疲れを知らないのかな?』みたいな感じなんです。『あれ? さっきフリー(曲を)かけたのに、また頭からフリーかけてんの!?』みたいな。ほんで、またかけ終わったら『え? またフリーかけてんの?』って…。なのに失敗しないんですよ。だからそれを見て『え? この人やば…』って。もちろん良い意味です」

2人で出た平昌五輪など国際大会で練習を共にし、見つめた背中は自らの土台作りにつながったという。

「(坂本の)先生も一緒に見ているから『知子ちゃんも、あんだけ動いてるのよっ!』みたいな感じで。『ですよねぇ…』と思いながら(自分も)強制的にフリーをかけられていました(笑い)。それで自分も今、こうやって(演技が)安定してきている。『知子ちゃんの練習を見られて、ほんまに良かったなぁ』って、すごく思います」

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4~5月にかけて、宮原さんはカナダでアイスショーに出演した。

インスタグラムの写真を眺め、こちらも次の道へと進んでいる実感がわいた。

今後はプロスケーターとして、スケートを極める。

立場は変わっても、向上心はきっと変わらない。

表現者としての「続き」にも興味は尽きない。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは五輪競技やラグビーを中心に取材。21年11月からは東京本社を拠点に活動。18年平昌、22年北京五輪と2大会連続でフィギュアスケート、ショートトラックを担当。19年はラグビーW杯日本大会、21年の東京五輪は札幌開催だったマラソンや競歩などを取材。