家族でつかんだ初優勝だった。14年日本女子アマ優勝など、アマチュアで数多くの実績を残してきた蛭田みな美(26=ユアサ商事)が、プロ8年目でようやく初優勝を飾った。20日まで神奈川・大箱根CCで行われた、3日間大会のCATレディース。最終日に絶望感も、歓喜も味わった18番パー5のグリーン脇で、優勝インタビューを受けていた時だった。キャディーを務めた父宏さん(63)への感謝の思いを問われると、涙が止まらなくなった。

最終日は11番から単独首位を守っていた。同じ最終組で2位の西郷真央を1打リードして18番へ。西郷はバーディーパットを決められず、追いつけずにパー、通算13アンダーで一足先にホールアウトしていた。もう1人、最終組で回っていた桜井心那も9アンダーで3日間を終えていた。残すは14アンダーの蛭田のウイニングパットのみ。グリーン脇では、蛭田と仲の良い藤田さいき、同期で同い年の永井花奈らが、祝福するために待っていた。初優勝のお膳立ては整っていた。

2メートルのバーディーパットから、ギャラリーの注目を一身に集めた。18年に下部のステップアップ・ツアーで1勝した経験はあるが、レギュラーツアーでは初めて経験するウイニングパットは、想像を絶する緊張感だった。

蛭田 「どういう気持ちで打てばいいのか、分からなくなっちゃって…。平常心で打てなかったです。『タッチを合わせていけばいい』と、冷静になることができませんでした。入れようとしちゃいました。(最終日は)予選ラウンドのようにやろうと思っていました。優勝は、そこまで意識していなかったです。18番のバーディーパットだけ、唯一、勝ちを意識してしまいました」。

バーディーパットを外しても、パーパットを決めれば優勝という状況だった。“決めれば優勝”のチャンスは2度あった。だが、バーディーパットを外し、一段と冷静さを失った。パーパットは1メートル足らず。後から振り返ると「ほとんど外すことはない」という距離だった。だが「引っかけてしまいました」。ボールはカップの縁をクルッと1周してこぼれた。80センチのボギーパットをようやく決めたが、初めて経験するプレーオフに臨むことになった。

ほぼ手中に収めていた初優勝が、こぼれ落ちた。計り知れないショックの中、キャディーの父の言葉に救われた。「全然、大丈夫。やり直しだね」。まだ負けたわけではない-。当たり前のことに気付かされた。

蛭田 「父の言葉で持ち直せました。『もう、しょうがない』と。いつも運転もしてくれているし、ホテルとかも全部取ってくれているので、ゴルフに集中できているのは、父のおかげだなと感謝しています」。

16年にプロテストに合格して以降、父は獣医師を休業して、蛭田のサポートに徹していた。用具契約はフリーだが、クラブ選びは基本的に父に頼ってきた。各試合に向けたクラブの微調整も父が手掛けた。初優勝は、蛭田自身の夢であり、父宏さんの夢でもあった。

13アンダーで並んだ西郷とのプレーオフ1ホール目。蛭田は第1打、第2打ともに右ラフに打ち込んだ。対する西郷は第1打、第2打ともにフェアウエー。気を取り直したとはいえ、通算5勝で優勝争いの経験も豊富な手ごわい相手だ。怪しい雲行きになりかけたが、再び父が魔法のような言葉で蛭田を後押しした。「腹を決めて打つしかない」。残り157ヤード、深いラフからの第3打を前に、迷いも緊張もなくなった。

蛭田 「あの状況では、寄せにいくどころじゃない。(グリーンに)乗ればいいや、と思っていました」。

狙って打ったわけではなかった。それでも初優勝への強い思いが乗り移ったように、第3打はグリーンに着弾すると、傾斜を使ってピンに寄っていった。

蛭田 「奇跡でした」。

ピンまで1メートルにピタリとつけるスーパーショットが、土壇場で飛び出した。プロ8年目で、最終日を首位で迎えたのは初めて。最終日最終組も3度目で、過去2度は3位から出て最終的に9位と、2位から出て最終的に17位で、初優勝の重圧に押しつぶされていた。もう後悔したくない-。正規の18番で絶望感を味わわされ「腹を決めて打つしかない」と、父の言葉通りに放った一打だった。

くしくも父はホールアウト後、プレーオフの第3打を「奇跡でした」と、蛭田と同じ言葉で評した。ただ宏さん自身は「意外と冷静でした。なぜか不思議と」とも話した。3歳でゴルフを始めた時から見てきた愛娘の集大成。勝っても負けても、日本の女子ゴルフ界の頂点を争う舞台に立っている姿が誇らしかった。

先に西郷が外したバーディーパット。正規の18番で、1メートル足らずのパーパットを外したのと同じラインだった。だが嫌な印象はなかった。「同じラインだったので、しっかりと打つことができました」と、失敗を経験ととらえ、悪夢のようなミスを、すでに乗り越えていた。初優勝を決めると、親子はガッチリと握手を交わした。蛭田がゴルフを始めてから23年。「自分はこのまま勝てずに終わるんじゃないか」。毎年、そう思い続けてきた蛭田と父の物語は、長かった第1部が、ようやく幕を閉じた。

家族の支えは、父だけではない。福島県南部、自然に囲まれた鮫川村の5人家族。第2日からは母智子さん、姉彩子さん(29)、兄玲於(れお)さん(28)と、家族が勢ぞろいで応援に駆けつけていた。母は「長い期間、皆さまに応援していただいて、本当にありがたいです。皆さまの応援のおかげです」と、涙ぐんでいた。プロゴルファーでもある兄は「感動しました。最終日最終組は過去に2度あったけど、1歩届かなかったので初優勝はうれしいです。感無量です」と、自分のことのように喜んだ。

そして、父とともに初優勝を後押しした、もう1人の“MVP”が姉だった。幼少期は、飼っていた牛の飼料を植えていた家の裏の草原で、いつも一緒に走り回っていた仲良し姉妹。姉は蛭田の性格を熟知していた。第2ラウンドは、1つ伸ばして終盤の14番を終えたところで、雷雲接近により45分間中断。そのタイミングで、彩子さんは蛭田に猫の動画を送っていた。

蛭田はこの時のことを「中断中に姉からLINE(ライン)が入って、これから飼おうとしている猫の動画が送られてきて、癒やされました。そこから3バーディーですからね。『神の中断』です」と、ホールアウト後に明かした。伸ばしきれず、中断中に深い悩みに陥らないか心配していた姉の気配りだった。彩子さんは「みな美が悔し涙を流す姿を、ずっと見てきたので」と話し、妹には笑顔でいてほしいと願っての行動だったという。この中断後、残り4ホールで3つ伸ばし、首位に立って最終日を迎えることができた。

彩子さんは「やっと笑って終われました」と、笑いながら泣いていた。蛭田家の女性3人は全員、笑顔と涙にあふれていた。男性2人は、泣きたい気持ちをグッとこらえ、平静を装っていた。東北地方の大自然に囲まれて生活してきた5人家族。時折、足を引きずることもある父に、もしものことがあった時には兄がバッグを担いでくれる。食事面など縁の下の力持ちの母がいる。目に見える形だけではない家族のサポート、安心感が幾重にも重なり、たどり着いた初優勝。のどかな村の普通の家族が、日本一の家族となった3日間だった。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

初優勝の蛭田はスピーチで感極まり涙を流す(2023年8月20日撮影)
初優勝の蛭田はスピーチで感極まり涙を流す(2023年8月20日撮影)
初優勝を決めた蛭田は優勝カップを手に記念撮影する(2023年8月20日撮影)
初優勝を決めた蛭田は優勝カップを手に記念撮影する(2023年8月20日撮影)
初優勝の蛭田は副賞のショベルカーに乗りポーズを決める(2023年8月20日撮影)
初優勝の蛭田は副賞のショベルカーに乗りポーズを決める(2023年8月20日撮影)