「もう30だから」って言えるのがうれしい-。アジア人初のマスターズ制覇を遂げた男子ゴルフの松山英樹(29=LEXUS)が、日刊スポーツの2022年の新春インタビューに応じ、笑顔ながらに本音を打ち明けた。昨年4月のマスターズの舞台裏や復活までの胸の内、そしてことし2月で30歳となる今後への思い。日頃は多くを語らないゴルフ界の第一人者が、包み隠さず話した。【取材・構成=高田文太】
日本ゴルフ史上最大の偉業、マスターズ優勝を果たした松山は泣いていた。東北福祉大2年の11年4月、19歳での初出場から10年。通算10度目の出場での快挙だった。寡黙な男が今だからこそ明かせる胸の内、舞台裏を静かに語り始めた。
松山 東日本大震災があった直後に、初めてマスターズに出たというのは今でも残っています。被災された方々の出場を後押しする声がなければ、出場できていなかったと思う。それから10年。震災の記憶はどんどん薄れていくし、知らない世代も多くなる。でも消しちゃいけないことだと思う。僕が活躍することによって「こういうつらいことがあって今があるんだよ」と、記憶を消させない、知らない世代に伝える役目として、節目で勝てたことはすごくうれしかったです。
導かれるような優勝だった。第3日の11番パー4でマスターズの4日間で「最悪」というティーショットが出た。右ラフに入れたところで、雷雲接近による77分間の中断。再開後、その11番で盛り返してバーディー、15番パー5で2オンからイーグルなど8ホールで6つ伸ばした。
松山 みんなは11番のセカンドや15番のセカンドに注目しがちですけど、14番でボギーになりそうなところで、パーを取れたことが一番大きかった。13番(パー5)で3パットのパーの後、いいパーを取れて流れが切れなかったのが、すごく大きかったと思います。
中断中に携帯電話のゲームをしていた話は有名だ。
松山 本当ならロッカーや練習場横のキャディーハウスにいたかもしれないけど、コロナの影響もあって車にいました。ケータイを見ながら「誰がどの順位にいるかな」とか、ゲームしながら待って。特段、深いことを考えていたとか集中していたとかはないです。(イメージトレーニングなどは)全くしてないですね(笑い)。2、3時間の中断もある。集中し続けられる人はいないと思います。
第3日を終えて2位に4打差をつけ王手をかけた。興奮や緊張で眠れない夜を過ごしたかと思いきや…。
松山 逆に眠れたから怖かったです(笑い)。疲れていたので考える前にスッと落ちました。米国に行ってから初めてのこと。翌朝起きて「うわー、怖っ!」って思いました(笑い)。
グリーンジャケットを着た松山は言った。「今までは『日本人にはできないんじゃないか』という考えがあったと思う。そこを覆すことができた」。松山自身が「日本人にはできないのでは」と思ったことは?
松山 あります。全然ありますよ。でも、それを下の世代に伝えたくない。自分が味わった苦しみを味わわせたくないとは、すごい思いましたね。1人出ればまた勝つ人は出てくる。野球でも野茂さんというメジャーの先駆者がいて、イチローさんや佐々木さんと増えていった。ただ先輩として、後輩が勝つんだったら自分が勝つという感覚でいたい。いつまでもカベになっていたいとは思います。
マスターズはツアー3年8カ月ぶりの優勝だった。
松山 「もう勝てないだろうな」と、思っていました。1年勝てず、2年勝てず。今年(21年)に入ってトップ10もなくて…。「もう勝てないんだろうな」と、覚悟していました。ただ何と言ったってゴルフが好きだし、ゴルフがうまくなりたい気持ちが強い。それだけでしたね、残っていたのは。
7月、新型コロナウイルスに感染した。頭痛や倦怠(けんたい)感で全英オープン欠場。13年からのメジャー連続出場が途切れた。約1カ月後の東京オリンピック(五輪)は4位。銅メダルをかけた7人でのプレーオフに敗れた。
松山 あれ以上はできなかったです。初日から3日目まで熱中症みたいな感じで。本当に体力が残っていなかった。悔しいけど「あれ以上はできなかった」と断言できます。日本の文化で「メダルを取れなかったら」という種目がすごくある。選手も五輪に懸けている。取れなくても、応援してあげるだけでいいんじゃないかと、初めて五輪に出て、すごく思いましたね。
2月には30歳を迎える。
松山 人と話す時に「もう30だから」って言えるのが逆にうれしい(笑い)。ただ、あと5年から10年しかゴルフが本当にうまくなる期間はないと思う。30代はいろんな経験を踏まえて強くなる時期。そこでどれだけ活躍できるか。そんなに時間は残されていないと思って、やっていきたい。いつまでも若い気持ちはあるんですけどね(笑い)。
松山の真骨頂は、30代を迎えた先にありそうだ。
◆松山の21年マスターズVTR 第1日は首位ジャスティン・ローズ(英国)と4打差の2位。第2日は順位こそ6位に下げたが、首位ローズとは3打差に詰める。第3日は1つ伸ばして迎えた11番パー4で、ティーショットを右ラフに入れたところで雷雲接近により77分間の中断。再開後、11番のバーディーを皮切りに残り8ホールで6つ伸ばした。15番パー5で3日連続のイーグルを奪って首位に立ち、2位に4打差をつけて終えた。最終日は1つ落としたが、通算10アンダー、278。2位のウィル・ザラトリス(米国)を1打上回り初優勝を飾った。
◆松山英樹(まつやま・ひでき)1992年(平4)2月25日生まれ、松山市出身。4歳でゴルフを始め、高知・明徳義塾高で全国優勝。東北福祉大2年だった11年マスターズ27位で、日本人初のローアマ獲得。同年11月の三井住友VISA太平洋マスターズでアマチュア優勝。プロ転向の13年に国内ツアー賞金王。同年秋から米ツアーに本格参戦し、14年初優勝。21年4月のマスターズで日本人男子初のメジャー優勝。同年10月のZOZOチャンピオンシップ優勝で日本人男子最多の米通算7勝。東京五輪4位。180センチ、91キロ。
<取材後記>
わずか1、2分の間に、松山の口から「うれしい」という言葉が20回近くも連呼された。1年間を通じ、試合会場で発せられた回数よりも多いのでは。発端はマスターズ優勝後の変化をたずねた時だった。試合のたび、各ラウンドのスタートのたびに「カレント(現在の)マスターズチャンピオン」と、選手紹介がアナウンスされる。そのことについて聞くと「それはうれしいですよ。うれしい。何が一番うれしいって、そこかもしれないですね」と、かみしめるように話した。
取材後、浅見カメラマンと真っ先に「うれしかったんだ」と目を見合わせた。試合中の松山は、マスターズこそ笑顔が多かったが、多くは感情が表に出ない。「だからこそ恥ずかしいプレーをしたくない気持ちもあります。でもやっぱり言われるとうれしいです」。純朴な内面に触れ、どこか安心した。【高田文太】