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95年ポール・ツー・ウインで完璧なレースで優勝したミハエル・シューマッハー
95年ポール・ツー・ウインで完璧なレースで優勝したミハエル・シューマッハー

 95年F1日本GPは、ミハエル・シューマッハー(ベネトン・ルノー)が完璧な走りで鈴鹿初制覇を果たした。最速ラップを獲得してのポール・ツー・ウィン。総合優勝を決めた前週のパシフィックGPに続く3週連続V。92年のナイジェル・マンセルに並ぶ当時最多の年間9勝目。チームに初のコンストラクターズ優勝をもたらすなど、偉業ずくめだった。シューマッハーは翌年からフェラーリに移り、「赤い皇帝時代」を築いていく。それを予感させる一戦だった。

 時代の転換期だった。93年にプロストが引退、94年にはセナが事故死があった。日本でのF1人気は相変わらず高かったが、以前のようなバブルのムードは消えつつあった。予選では鈴木亜久里がクラッシュし、ヘリで病院へ搬送され、ラストランをファンに見せることなく引退。日本人記者の間には重苦しい空気が流れていた。

 そんな中、新しい時代が確実に来たことを証明した一戦でもあった。決勝はレース前に雨が上がり、ぬれた路面が少しずつ乾いていく難しい状況で、片山右京が13周目にクラッシュ。他にもスピンや追突など、次々とトラブルが起こり、不穏なムードが続いた。当時、後藤久美子とのラブラブぶりばかりが注目されたアレジが、フライングで10秒のペナルティーを科されながら、攻撃的な走りでPPスタートのシューマッハーに1秒018差と迫った。だが、マシンへの負担は限界に達し、25周目で白煙を上げてしまった。

 シューマッハーだけが、精密機械のような走りで危なげなかった。タイヤ交換のタイミング、ピット作業も完璧だった。2回目のピットストップの直前の30周目に最速ラップ、コースに戻って33周目にこれを更新した。当時の記事に「タイヤの状態に関係なく、自在に速さを生み出せる」と書いた。

 因縁のライバルであるヒル、クルサードのウィリアム勢も終盤にはコースアウト。結局、ピットイン以外では1度もリードを譲ることなく、勝ちきった。派手なバトルとは無縁だったことが、シューマッハーの底力を示していた。

 前週のパシフィックGPで2年連続の総合優勝を決めた時は、目を潤ませ、派手なガッツポーズを見せたが、この日本GPではクールな姿を取り戻していた。既に翌年からフェラーリに移ることが決まっており、コンストラクターズ部門優勝の置き土産にした。

 その後、シューマッハーの精密機械ぶりにますます磨きがかかる。フェラーリでの5年連続を含め、通算7回の総合優勝。通算91勝、PP69回、04年の年間13勝など、現在でも歴代1位の記録である。【岡田美奈】

◆岡田美奈 過去にサッカー、ゴルフ、ラグビーなども担当。95年ラグビーW杯南アフリカ大会で日本の3戦全敗(しかも、ニュージーランドには17―145の歴史的惨敗)の後、フランスに飛んでルマン24時間レースを取材。日本人ドライバー初となる関谷正徳(マクラーレン)の総合優勝という歴史的快挙に遭遇。96年オートバイ世界GP日本GP(鈴鹿)でノリックこと故阿部典史さんの500cc優勝を取材できたのも思い出深い。


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