9月18日開幕のラグビーW杯イングランド大会まで、あと1カ月と迫った。8強進出を目標とする日本代表にあって、外国出身選手の力は不可欠だ。外国出身選手の歴史をひもとくと、初めてW杯に出場したのは現代表のNO8ホラニ龍コリニアシ(33=パナソニック)の伯父、トンガ出身のノフォムリ・タウモエフォラウ氏(59)。第1回の87年ニュージーランド・オーストラリア大会でウイング(WTB)として活躍した。

 ホラニは故郷トンガでのラグビー経験がなく、日本でラグビーを始め、ここまできた。だからこそ「僕は自分が外国人だとは思っていない。日本でここまで成長したから」と話す。

 母の兄にあたるノフォムリ氏に誘われ、中学卒業後に来日し、埼玉・正智深谷高に入学。目的は勉学だった。教師だった母の教育方針もあり、中学時代までは吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた文系少年。だがスポーツ特待生として奨学金をもらうため、未経験だったラグビーを始めた。毎朝5時すぎから1人練習に励むと、才能は開花した。3年時は主将として3年連続の花園出場に貢献し、08年日本代表に選ばれた。

 左腕には「大和魂」のタトゥーが入る。07年に国籍を取得した時、記念に入れた。「母国でやりたいという気持ちはなかった。伯父が日本代表だったし、だから日本代表に憧れた」。伯父直伝の激しいタックルで、チームを危機から救う。

 名前の「龍」の字は、母の名前「LIU」からつけた。その母は09年に肝臓がんでこの世を去った。前回ニュージーランド大会は、初戦でアキレスけんを断裂し、不完全燃焼に終わった。33歳。競技人生の集大成をかけ、日本への感謝、母への思いも胸にイングランドのピッチに立つ。

 ◆ホラニ龍コリニアシ 1981年10月25日生まれ。トンガの首都ヌクアロファ出身。98年3月に来日。16歳から埼玉・正智深谷高でラグビーを始め、3年連続で花園に出場。埼玉工大を経て、三洋電機(現パナソニック)入り。07年に日本国籍を取得。ポジションはNO8。ニックネームはコリー。188センチ、111キロ。

 ◆ラグビーの代表資格 (1)当該国生まれ(2)両親、祖父母の1人が当該国生まれ(3)満3年以上継続して当該国に住んでいる。この3条件のうちいずれかの条件を満たし、かつ他国代表の経験がなければ代表選手になれる。また、他国の代表経験があっても、次の3条件をすべてクリアすれば可能。(1)国籍を取得(2)自身の前代表国の最終戦から18カ月以上たった(3)7人制のワールドシリーズで4大会以上、または五輪予選で半分以上の試合でプレーしている。これらの条件から分かるように、ラグビーは所属チームのある国で代表を目指すことが広く認められている。海外出身選手はどこの国にもいる。世界最強のニュージーランド代表では、同じ南半球の国から移住した選手が多い。