五輪で、世界の第一線で戦ってきた者しか分からない領域。「楽しんで」。容易ではないが、度重なる困難を乗り越えてきた浅田ならできると信じていた。高橋だけではない、浅田の元には戦友たちからも次々にメールが届いた。荒川静香、安藤美姫、小塚崇彦…。多くの仲間が望んでいたのは、「笑顔が見たい」。悲哀ではなく歓喜。結果ではない。ただそれだけを求めていた。その1通1通が勇気をくれた。

 「支える力」は日本からだけではなかった。SNSの世界でも、大きなうねりが起きていた。発端となったのは、男子シングルに出場していたミーシャ・ジー(ウズベキスタン)だった。「マオがとても落ち込んでいたから、いても立ってもいられなかった」。ツイッターの自身のアカウントで呼び掛けた。

 「真央の点数はとても残念だった。多くのファンも同じだと思う。でも、フリーが良くなるように、あきらめずに、一層のサポートを!」

 そして「#GoMao」「#MaoFight」のハッシュタグをつけて、応援する仲間を募った。輪は瞬く間に世界中に。ファンだけではなく、海外のスケーターも賛同。ジェレミー・アボット(米国)、ジェフリー・バトル(カナダ)、ジョアニー・ロシェット(カナダ)らが、次々にメッセージを発信した。2つのハッシュタグを含むツイートは、SP、フリーが行われた2日間で9万2063件にまで達していた。

 現地時間午後9時前。氷上に戻ってきた浅田は、もう失意の底にはいなかった。「たくさんの方に励ましの言葉をもらったので、最後は覚悟を決めてリンクに立ちました」。そして、あの4分7秒、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」の調べに、集大成をつぎ込んだフリーは生まれた。

 「終わったときは『やった』という気持ちが強くて、たくさんの方から『笑顔が見たい』というメールが来たので、終わったときは良かったと思って、すごいうれしかったんですけど、おじぎのときは笑顔になろうと思いました。自分の中ではうれしかったです。うれし泣きと笑顔です」

 幾重の感情をたたえた演技後の顔は、これからも多くの人の記憶に刻まれ続けるだろう。浅田と、浅田を囲む人々が作り出した22時間の真実。それは永遠に色あせることはない。【阿部健吾】