その9時間後、一夜明けたフリーへの練習。ほとんど眠れずに朝を迎え、珍しく開始時間に遅れた。わずか5分だが、立ち直っていないのは明白。ジャンプは乱れ続け、覇気がない姿に、佐藤コーチは怒気を込めて言った。「まだ3分の1しか試合は終わってない! 気合を入れないとダメだ!」。それでも生気は戻らなかった。

 遠く日本にいた姉舞は、自分の「おきて」を破る決意をしていた。映像を通して見た練習の姿に、携帯電話で妹の連絡先を探し始めていた。家族への甘えを懸念して、試合期間中には連絡は取らないようにしてきたが、事態は深刻だった。

 浅田はその時、選手村の食堂で1人で遅い朝食を取っていた。着信に通話ボタンを押した。

 「頑張ってきたんだから、今の気持ちのまま臨むのはもったいない! 絶対できるから、やらないと駄目だよ! 今までやってきたことはなんなの!」

 普段はないきつめの口調で姉は言った。「アスリートには、頑張れ、できるよと慰めてもらうのがいいタイプと、ガツンと言ってもらえるのが良いタイプがいる。真央は小さいころからお母さんに叱られていたんです」。駄目なときはSPが終わって、別のリンクですぐ練習することも多々。舞はその姿を見ていた。「お母さんはいない。私が言わないと」。幼少期から3人姉妹のようにフィギュアに励んできた母匡子(きょうこ)さん(48歳で死去)は11年に他界した。あえて突き放すように、かわいい妹を激励した。そこには家族の愛が詰まっていた。

 試合日の朝の練習が不調の時は1人で部屋に入り、ご飯をさっと食べて布団で横になるのがペースだった。いつまでも食堂から帰ってこないことを心配した関係者に、ようやくエレベーター前で姿を見せた浅田は、「舞に言われちゃったもん」と少し目を上にさまよわせながら、弁明した。その照れたような言い回しには、明らかに練習とは違う心の回復が見て取れた。フリー演技は9時間後に迫っていた。

 SPの悲劇に心を引き裂かれていたのは、舞だけではなかった。00年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子もその1人だった。取材を通じて知り合った浅田の痛む心に、どうしても言葉を送りたかった。「私と似ているアスリートだと勝手にですけど、思っていたんです。オンとオフの切り替えをする選手と、オフでも練習をするような選手がいて、私は後者。真央ちゃんは似ていると思った。だからこそ、今まで積んできた練習を信じてほしかった」。一言一言文字を打った。祈るような気持ちだった。

 「これから先の人生でそんな緊張感を味わえることはないかもしれない。すべての景色、雰囲気が宝物になる。楽しんでやってほしい」