第99回全国高校ラグビーは、27日に東大阪市の花園ラグビー場で開幕する。日刊スポーツではWEB連載として、今秋のW杯で活躍した日本代表選手の母校8校を紹介する。第7回はBシードの中部大春日丘(愛知)。「ジャッカル」が代名詞となったNO8姫野和樹(25=トヨタ自動車)を育てた宮地真監督(54)は、ラグビーのプレー経験がない。情熱に導かれた教え子が、初の8強を目指す。

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姫野が1年だった10年秋。花園初出場を祝う祝勝会で、宮地監督が宣言した。

「これを、破らせてもらいます」

13年前から毎日眺めてきた新聞記事を、その場でビリビリと破った。

0-155からの出発だった。97年9月、前年度に花園初優勝を果たした西陵商(現西陵)に屈辱的な大敗を喫した。2年連続日本一を目指す王者の県予選初戦。翌朝、日刊スポーツには「西陵商大爆ショー」の見出しで記事が掲載された。春日丘(現中部大春日丘)は高校からラグビーを始めた面々で、3学年15人がようやくそろった時期。宮地監督は記事を切り取ると、自宅の壁に貼り付けた。反骨心を、勝利への執念にした。

「日刊スポーツありがとう。絶対に花園に行って、その時にこれを破ってやる」

大敗の5年前となる92年、春日丘(現中部大春日丘)へ赴任し、学校に頼まれてラグビー部監督に就任した。中学は野球、高校でサッカー、大東大には書道家志望で進学した。国語の教員として第1歩を踏み出した岐阜女子高ではソフトボール部を指導し、インターハイ出場も経験した。

ラグビー未経験だったからこそ、常識に縛られなかった。ジャージーの色は「パッといこう!」とオレンジを選択。練習は短時間集中で、罰走もなくした。

「西陵と同じことをしても勝てない。強いモールに、モールで対抗してもしょうがない。固定観念をつぶすしかなかった」

モデルは今大会のAシード御所実(奈良)だった。同校を率いる竹田寛行監督(59)も県内の古豪、天理の背中を追ってきた。宮地監督は何度も奈良に通い、練習や試合で胸を借りた。

「最初は『御所って試合に20人ぐらい出ている?』となった。WTBの外にプロップがいたり、フリーに動き回る選手がいる。それなのに細かい。ラックで相手に体を当てる選手の方向まで決まっている。そういうのを教えてもらった」

姫野も1年時からのびのびと育てた。WTBの位置にいても、キックを蹴っても良かった。基本的な考え方は今も変わらない。西陵の壁を乗り越え、花園常連校になった。次の目標は西のシード校を倒し、初めての花園8強に入ることだ。

姫野と同じNO8福田大晟(2年)を、宮地監督は「タックル、パス、サポート…と全てできる。天性のフットボーラー」と評す。CTB徳重翔主将(3年)は「絶対に1月3日(準々決勝)に行く」と実力者がそろう下級生を引っ張る。初戦は30日の2回戦、高鍋(宮崎)と札幌山の手(南北海道)の勝者と対戦する。奇想天外な戦いで、令和の象徴となる。【松本航】