92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が24日、死去した。53歳だった。

関係者によると、昨年からがんの闘病中で24日朝に亡くなった。

1年延期となった東京五輪を目にすることなく、日本柔道を支えてきた「平成の三四郎」が53歳の若さで旅だった。

古賀氏は2019年4月に、東京五輪を見すえリオデジャネイロ五輪以来3年ぶりに評論家として日刊スポーツに登場している。

選手、指導者としての豊富な経験と確かな目で、読者に柔道を分かりやすく伝えていた。

日刊スポーツにおいては、昨年12月の東京五輪柔道男子66キロ級の代表決定戦、阿部一二三(23=パーク24)が19年世界王者の丸山城志郎(27=ミキハウス)に24分の死闘の末、大内刈りで優勢勝ちし、初の五輪代表に決まった日本柔道史上初のワンマッチを、確かな視点で評論。「観戦していて終わってほしくないなと思う素晴らしい試合だった」と結んだ。

これが区切りとなってしまった。