フィギュアスケートの情報を毎日発信しています。

今日の誕生日

ギリス・グラフストレーム(1893年)→Pick Up!


Pick Up! ギリス・グラフストレーム

冬季オリンピック(五輪)史上初の3連覇を達成したスウェーデンの男子レジェンドの誕生日です。

首都ストックホルムで生まれてスケートを始め、26歳だった1920年のアントワープ五輪に初出場。大会中にブレードが壊れて交換できず、町まで旧型のスケート靴を買いに行かなければならないアクシデントに見舞われながら、コンパルソリー(規定)フリー(自由)ともに1位で金メダルを獲得した逸話があります。当時は参加9選手の頂点でした。

グラフストレームスピン(キャメルスピンの原型)やフライングシットスピンを編み出したことでも知られ、1924年シャモニー・モンブラン五輪も制して2連覇。音楽に対する並外れた感覚も武器に、1928年サンモリッツ大会も勝って前人未到の3連覇を成し遂げました。

V4が懸かった1932年レークプラシッド五輪では、何と、氷上で演技中にカメラマンと衝突。カール・シェーファー(オーストリア)に敗れて銀メダルとなるなど。話題には事欠かなかったようです。一方で滑りは「エレガント」と評されたスケーターで、この五輪には38歳で出るなど息の長いアスリートでもありました。

引退後の指導者としても一流でした。女子のソニア・ヘニー(ノルウェー)を育成。彼女も、後に五輪3連覇を遂げるスターとなりました。また、リンク外も多才でした。ドイツに渡ってベルリン工科大で建築学を学び、初めて五輪に出た頃はロンドンでインテリアデザイナーとして活躍。五輪2連覇の翌1925年からはドイツ・ポツダムに移り住んで建築家として働き、練習は凍っていた湖や公園、人工スケート場で行いながら世界一のレベルを保ちました。作家、画家などの肩書も持っていたそうです。

1938年には作曲家メンデルスゾーンの曽孫である女性と結婚。しかし、わずか2カ月後のことでした。若さで敗血症を患って急逝。44歳の若さでした。76年には世界フィギュアスケート殿堂入りしています。

彼以降、フィギュアスケート男子で3連覇した選手はいません。2連覇中の羽生結弦選手は、現段階で2022年の北京五輪を目指すか明言していませんが、グラフストレームさん以来94年ぶりの大記録を狙える唯一の存在であることは間違いありません。夢のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)成功の先にある決断に注目です。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2021年4月18日
2021年4月18日

21年4月18日、世界フィギュアスケート国別対抗戦のエキシビションで演技する宇野昌磨(代表撮影)。


今日の出来事

ISUがルール改正。フリーの4回転ジャンプ繰り返しを1種類に制限(2018年)

記事はこちら