18年平昌オリンピック(五輪)を前回選考会4位で逃した樋口新葉(20=明大/ノエビア)の宿願が成就する。フリー147・12点、合計221・78点で2位となり、初の五輪出場となる北京大会代表入りが決定的となった。

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ショートプログラム(SP)2位で迎えたフリーも攻め切ると「やったぁ」と叫んだ。順位を確認すると涙が止まらない。「4年前とは比べものにならないくらい力を発揮できた」と声を上げて泣いた。

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逃げなかった。ジュニア時代の7年前から練習し、今季ついに習得したトリプルアクセル(3回転半)に冒頭で挑んだ。着氷が乱れて減点となったが、強気はその後のミスをなくした。五輪という獲物を狩りにいった「ライオンキング」を演じ切り、2位より上を確信。「観客とつながる」目標も遂げ、拍手を浴びた。

16歳だった4年前はGPシリーズ2戦連続メダルでファイナルにも出場。有力候補だったが、勝負の全日本で2枠を逃した。代表発表日の夜、つぶやいた。「倍返し」。平昌五輪も「全く見てない」と悔しさをため込み、直後の世界選手権で銀メダルに輝いた。「五輪に出た人には味わえない経験ができた」自負を誇りにする。膝の負傷の鵞足(がそく)炎や右足甲の疲労骨折などを乗り越え、非公認ながら合計点を14・32点も更新して借りを返した。

今夏の東京五輪では、親友の競泳女子・池江璃花子が白血病に打ち勝った勇姿を見た。その池江が4年前は樋口の応援に会場まで来てくれた。敗れた後に声をかけられた。「ここで終わりじゃないよ」。その後も親交は深く「何となくの病状を聞き、本当にすごいなと。私も頑張ろう」。同じ舞台に立つ日は目の前だ。

大会前に「これが最後」と決めていた五輪挑戦。「もっともっと大きな舞台で滑れれば」と期待して発表を待つ。ミレニアム(新世紀)が始まった01年1月2日生まれの樋口が夢の実現を確実にした。【木下淳】