<W杯スキー:ジャンプ>◇個人第14戦◇17日◇スロベニア・リュブノ(HS95メートル、K点85メートル)

 ソチ五輪金メダル候補のエース高梨沙羅(16=グレースマウンテン・インターナショナル)が、W杯個人総合優勝の快挙を成し遂げた。1回目89・5メートルと、この回最長でトップに立つと、2回目も最長不倒の92メートルで合計266・9点。4連勝で今季8勝目(通算9勝目)を挙げた。個人総合得点で2位のサラ・ヘンドリクソン(米国)に290点差をつけ、2戦を残して決めた。日本勢のW杯個人総合優勝は荻原健司(ノルディック複合)に続き2人目。国際スキー連盟によると高梨の16歳4カ月での達成は、ジャンプ男子のトニ・ニエミネン(フィンランド)の16歳9カ月を抜いてスキーW杯史上最年少優勝となった。

 圧勝だった。1、2回目とも絶好の向かい風を受けた他選手が飛距離を伸ばす中、高梨だけがゲートを1段下げた。助走スピードが落ち飛距離は劣る。それでもテレマークを入れれば、飛型点と合わせたトータルで優位に立てる。だが、そんな皮算用は無用。高梨の飛躍は次元を超えていた。「ここにきて一番のジャンプだった」。飛距離も他選手を軽々と上回り、終わってみれば2位のマテル(フランス)に23・6点もの大差をつけた。単純計算で飛距離にして11・8メートル差。影をも踏ませぬ強さにも「(2回目は)あそこまで飛べて楽しかったけどテレマークが入れられなかったのが残念」と満足しないのも高梨らしかった。

 史上最年少の16歳4カ月で総合女王に輝いた大きな要因の1つが、着地で足を前後に開くテレマーク姿勢へのこだわりだ。W杯が始まった昨季から飛距離はトップクラス。しかし、初めての海外転戦の疲労から足を痛めてテレマークを入れられず、飛型点の差で優勝を逃した試合があった。だから「僅差の試合だと着地が大事になる」と重点的に取り組んできた。

 今季も序盤は、満足のいく着地は少なかった。第4戦は飛距離で劣りながらテレマークを入れたことが功を奏して優勝。飛距離だけでなく着地でも勝てる力が付いたことを証明した。昨年末に国内での練習で転倒しても「転んでもいいから足を出すチャレンジをしたい」と、ぶれることはなかった。その決意を貫き、確率も上がってきた。

 努力も忘れない。幼少のころから父寛也さんに指導を受け、中2で140メートル超えの大ジャンプを披露。天才肌とみる向きもあるが、ここと決めたら労力を惜しまない。中学卒業からわずか約5カ月後の昨年8月、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格。朝5時半の始発に乗り1時間かけて旭川に通いながら、1日7時間の勉強を怠らなかった。単語帳を片時も離さず、苦手の生物も何とか克服。競技に対する姿勢と重なる。

 感謝の念も忘れない。遠征などで荷物運びは、高梨の役目の1つ。世界NO・1に君臨するのだから放棄しても良さそうだが「私が今、こうしていられるのもチームの支えがあるからこそ。女子ジャンプ(の盛り上がり)も先輩たちがいたからこそ」の気持ちを常に忘れず礎を築いた先輩を立てる。勝利の女神は、そんな女王の素顔をきちんと評価し、そしてほほ笑んだ。

 昨季最終戦後にヘンドリクソンが総合優勝のクリスタルトロフィーを受け取ったのを見て「いつかは欲しいな」と思った。わずか1年後に、その願いをかなえた。「意識はしていなかったけど最高の1日になった。自分でも感動した」。さわやかな笑顔だった。

 ◆高梨沙羅(たかなし・さら)1996年(平8)10月8日、北海道・上川町生まれ。上川小2年でジャンプを始め、上川ジャンプ少年団入り。11年1月のHBC杯で女子の国内最長記録となる141メートルを飛び優勝。コンチネンタル杯は2勝を挙げ、世界の注目を集めた。同年2月の世界選手権では6位、12年1月の冬季ユース五輪で金メダル。12年3月のW杯蔵王大会で男女通じて日本史上最年少で優勝。世界ジュニアは12、13年と個人戦で連覇。家族は両親と兄。152センチ、43キロ。

 ◆スキーW杯日本人の個人総合優勝

 ノルディックスキー複合の荻原健司に続き高梨が2人目。荻原は92-93年シーズンに初制覇。続く93-94年、94-95年シーズンと3連覇の偉業も達成し「キング・オブ・スキー」として世界中から称賛された。種目別優勝は過去5人。02-03年シーズンから始まったフリースタイルスキー・スキークロスで、滝沢宏臣が初代王者に輝く。スノーボード・ハーフパイプでは女子の山岡聡子、今井メロ、男子の青野令が制覇。フリースタイル・モーグルでは07-08年シーズンに上村愛子が種目別優勝した。