ノルディックスキー・ジャンプ男子のベテラン葛西紀明(41=土屋ホーム)の、世界最多7度目の五輪出場が確実となった。2月のソチ五輪開幕1カ月前の今日7日、全日本スキー連盟(SAJ)から正式に発表される。SAJが代表選出期限に定めた年末年始のW杯が6日に終了し、W杯個人総合で日本勢最高の6位(5日現在)につけ文句なしの選出。金字塔を打ち立てた「レジェンド」が、悲願の金メダルに挑む。

 ベテランに新たな勲章が加わった。今日7日にSAJから同競技の五輪代表が発表され、葛西の世界最多となる7大会連続五輪出場が決まる。今季は12月15日のW杯で3位に入り、最年長表彰台記録を打ち立てるなど、日本勢トップの個人総合6位。20年以上世界のトップで戦い続ける41歳が、日本のエースとして悲願に再び挑戦する舞台に立つ。

 世界が「レジェンド」とたたえる。1日に行われた伝統のジャンプ週間。2回目に葛西が飛び終えると「スタンドアップ」の声がアナウンスされ、会場が総立ちとなり、拍手が鳴り響いた。不惑を超えても飛び続けるベテランを、世界が敬意を持って迎えている。葛西は「そう呼ばれるのはうれしい。でも、自分では神って言っているけどね」と陽気に話す。

 その原動力は、不遇な競技人生にある。過去6度の五輪出場がありながらメダルは94年リレハンメル大会団体銀メダルだけ。日本が栄華を極めた98年長野五輪の団体金メダルのメンバーからは、直前のケガで外れた。降りしきる雪の中、歓喜に沸くシーンは隣のノーマルヒルのランディングバーンから見つめた。もちろん、涙で何も見えなかった。「今でも思い出すと眠れない。何で俺だけ金メダルがないのか?」。

 94-95年シーズンのわずか2カ月間で2度も転倒し、左鎖骨を骨折する重傷を負った。97年には母幸子さんが、火事の影響で48歳の若さで他界。所属先も廃部などで3社目と、何度もどん底にたたき落とされながらはい上がってきたのは、金メダルへの執念以外の何ものでもない。

 今季スキー板を4センチ短くするなどあくなき挑戦を続ける。「今回は五輪が僕に合わせてきている感じ」。悲願を果たし、名実ともに「伝説」になってみせる。

 ◆冬季五輪最多出場

 国際オリンピック委員会(IOC)の資料によると、世界では男女ともに6度が最多で、葛西の7度が単独最多。他に6度はリュージュ男子1人乗りのゲオルク・ハックル(ドイツ)、北米プロアイスホッケーのNHLで活躍し、88年カルガリー五輪で銀メダルのライモ・ヘルミネン(フィンランド)ら。スピードスケート女子の橋本聖子は冬4度、自転車で夏季も3度出場した。他の日本勢は、5度はジャンプ原田雅彦、スピードスケート岡崎朋美、モーグル里谷多英。日本人の最年長代表は、10年バンクーバー大会に45歳で出場したスケルトン男子の越和宏。<葛西紀明(かさい・のりあき)アラカルト>

 ◆生まれ

 1972年(昭47)6月6日、北海道・下川町。

 ◆サイズ

 身長177センチ、体重61キロ。

 ◆競技歴

 8歳で競技を始めた。北海道下川中時代は北海道中学を3連覇し天才少年と言われた。2、3年時には22連勝も記録。3年の宮様大会ではテストジャンパーを務め、優勝者の記録を上回る「幻の最長不倒」をマークした。

 ◆最年少出場

 東海大四高1年で世界選手権に初出場し、16歳8カ月の日本人男子の最年少出場記録を樹立した。W杯初出場(16歳6カ月)初優勝(19歳9カ月)も当時の最年少記録。

 ◆最多勝

 W杯では15勝を挙げ、船木と並び日本人最多勝。

 ◆トレーニングの虫

 自宅にトレーニングルームを造り、暇さえあれば筋トレに励み、夜中でも思い立ったらランニングをする。身体能力は代表メンバーで今でも1番。

 ◆家族

 独身。