世界ランク11位の日本が同9位のフィジーに34-21で勝利し、ワールドカップ(W杯)イヤー初戦で本大会に弾みをつけた。7月中旬まで行われた宮崎合宿で積み重ねてきた戦術を、先発したSH茂野海人(28=トヨタ自動車)が体現。過去の対戦成績が3勝14敗だった格上を破り、ポジション争いが繰り広げられているSH陣の中で輝きを見せた。日本は次戦で8月3日に大阪・花園ラグビー場でトンガと対戦する。

日本の勝利を祝福するかのように、試合終了の合図を告げるホーンが釜石に鳴り響いた。立ち上がりからボールを保持し続けて、相手のミスを誘い、前半だけで4トライ。その起点は素早いパス出しで攻撃を加速させつつ、積極的な仕掛けで相手を困惑させた茂野だ。ジョセフ・ヘッドコーチは「とてもいい試合運びをした。経験やスキルを積んでいたので柔軟に対応してくれた」と高く評価した。

見せ場は前半19分。敵陣5メートル中央付近でボールを持ち出すと、右側から走り込んできた松島に交差しながらパス。がら空きになった中央を突破させる鮮やかなサインプレーでトライを演出した。相手FWの反応が遅いのを見抜き「サインプレーです」とニヤリ。指揮官から評価を得たが「僕というより周りがよかった」と謙虚だった。

土俵際から逆転の生き残りだ。16年秋からのジョセフ体制では、2度W杯を経験したベテラン田中と、急成長した流がSHの中心だった。その影に隠れてきた茂野が、失意の中から生み出した武器で、W杯開幕54日前にして急浮上した。

高校、大学で桜のジャージーと縁がないままNEC入り。15年に「もしもラグビーを楽しめなかったらこの後どうしよう」とラグビー人生を懸けて、ニュージーランド・オークランドへ留学。そこで積極的な仕掛けが認められ、オークランド代表に選出されるなど、本場で高く評価された。そして今春のスーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズで16試合中9試合に出場し、その才能がついに開花。第3の男がW杯での先発の座をたぐり寄せる活躍で存在をアピールした。

チームとしても進化を証明した。約1カ月の宮崎合宿でボールインプレー(プレーが途切れずに続いた状態)の時間目標を世界トップクラス「40分」に設定。セットプレーを減らしボールを動かし続ける展開に持ち込み、運動量で「走り勝つ」スタイルを目指した。フィジー相手に足を止めず戦いきり、茂野も「ゲームプランを引き出せた」とうなずいた。FBが本職の松島のWTBでのオプションが加わり、故障していた大黒柱のリーチが8カ月ぶりに試合復帰。茂野の台頭も含めてチームの層が厚くなった。史上初の8強を目指すW杯に向け、日本代表が最高のスタートを切った。【佐々木隆史】

◆パシフィック・ネーションズ杯 環太平洋地域のチームの強化を目的として2006年に第1回大会が開催された。出場国、大会方式は固定されておらず、フィジー、トンガ、サモアを中心に日本も参加してきた。今大会はフィジー、米国、トンガがA組、日本、カナダ、サモアがB組に分かれ、各チームが別組の3チームと戦い、勝ち点で順位を争う。勝ち点は勝ちが4、引き分けが2、負けが0。勝敗に関係なく4トライ以上挙げた場合と、敗れても7点差以内の場合にはボーナス勝ち点1が与えられる。