世界ランク11位の日本が同14位のトンガに41-7で勝利し、パシフィック・ネーションズ杯2連勝を飾った。2日夜に、ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)の母マウデさんが78歳で死去。

指揮官がニュージーランドに緊急帰国し不在の中、恥骨の炎症で回復が遅れていたフランカーのリーチ・マイケル主将(30=東芝)が8カ月ぶりに先発に復帰。泥臭いプレーでフル出場を果たし、勝利に貢献した。開幕まで2カ月を切ったW杯に向け、チームは上昇気流に乗る。次戦は10日に、米国とフィジーで対戦する。

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待ちに待った先発の舞台に、リーチは前半開始からエンジン全開だった。密集に何度も頭から突っ込み、ラインアウトでは相手にプレッシャーをかけ続けた。同28分に敵陣5メートル中央付近でボールを受け取ると、相手2人からのタックルに耐えて味方のスペースを作り、チーム3本目のトライを演出。最後まで献身的なプレーでチームを鼓舞し続けた。自身の出来については「10点中2点ぐらい」と辛口も、表情に手応えがにじむ。「痛みはないので一安心した」とうなずいた。

試合後の写真撮影では、ジョセフHCがマウデさんと写るパネルを掲げ、チームを代表して哀悼の意を示した。フィジー戦に続く完勝に「やろうとしていることはできた。我々のスローガンは『ワンチーム』。僕たちもジェイミーのことを思っている」と言葉に力を込めた。

先の見えないトンネルをようやく抜けた。3月の沖縄合宿で恥骨の炎症を発症し、同月に予定されていたスーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズへの合流を辞退。1度は回復の兆しを見せたものの、4月の海外遠征時の移動で負担がかかり再発すると、その後も一進一退を繰り返した。「もう大丈夫」と練習で元気な姿を見せれば、翌日にはくしゃみができないほどの痛みが体を襲う。キャリア初の長期離脱にイライラは募った。

「どん底」と振り返ったのが、6月中旬だった。全体練習に部分合流し始めた宮崎合宿で、起床した瞬間に違和感を感じた。ベッドに寝たまま、左足がまったく動かない。「W杯、無理かもしれない」-。ホテルの天井を見つめ、最悪のシナリオが脳裏をよぎった。

懸命なリハビリが実り、ピッチに戻ったのは、W杯開幕まで2カ月を切った、先月27日だった。チームは強豪フィジーに完勝。途中出場で約50分プレーすると、試合後には実感を込めて言った。「10年、日本代表でやってきて、日本ラグビーは成長していると感じた」。主将としてもどかしい日々の中で、成長を続けてきた仲間の姿が頼もしかった。練習が終われば、宿舎のいたるところで小規模のミーティングが自発的に行われ、改善点を話し合う。勝ちへの欲望がチームの土台に根付いていると実感した。

W杯での目標は、史上初の「ベスト8」から、「優勝」に意識的に変えた。「もう1度、日本の強さを世界に見せたい」とリーチは言う。日本代表の中心に、頼りになる男が帰ってきた。【奥山将志】