インフラの概念、私たちの暮らしが変わる その2
- ナビ機能もあるシニアカー
Q=シニアカーなども用意されているそうですが
A=パラリンピックもあるし、障害を持った人をどうやってサポートするかも大きなテーマです。今回提案したシニアカーは、ナビのような機能に従って運転するものですが、16年には目的地まで完全自動走行が可能なロボット車椅子のレベルまで進化しているでしょう。そのために建物の中などに電波マーカーを設置する必要があります。
Q=インフラの整備が必要になりますね
A=サイネージ端末をいろいろなところに設置しなければなりません。人間のための道路標識のように、機械のための標識を設置していかなければならない。東京で五輪が開催されることになればそういうことが進むわけで、これはほかの都市にはないポイントです。コンピューターが自らの位置や周囲の状況を察知できるようなインフラがあれば、いろいろなことが可能になる。しかもインフラ整備は五輪のためだけでなく、その後の東京都民の暮らしにも反映されるのです。64年の五輪で新幹線や高速道路がつくられたじゃないですか。それで暮らしがよくなった。でも、もう道路や建物の時代じゃない。違う意味で次世代のために五輪をきっかけにしたいということです。情報インフラが整備されれば、体の不自由な人たちも安全に自由に都内を移動できるし、外国人観光客が迷わなくて済む。ムダを省き、一般の人たちの生活も向上していく。これは東京だけではなく、日本全国、世界中に広がっていくものです。東京という街は情報発信力がある。ショーケースとして情報インフラを整備する。そうすれば経済効果という意味でもずっと続いていきますから。
Q=インフラの整備にはどのくらいのお金がかかるのですか
A=土木工事に比べたら大した額ではないと思いますよ。ICT関連事業で一番お金がかかるのは、最初の設計段階です。皆さんが持っているパソコンも今は5万円、7万円の時代ですが、あれをゼロからつくることは何兆円規模の話なんです。世界中の何億人という人がパソコンを使っていることで開発コストはもうペイされているんですが。要するに多くの人が使用するという前提でつくれば、1台1台の単価は安くなります。1000億円もかからないと思います。サイネージ端末は長期的な視野で整備していかなくてはなりませんが、五輪のあるなしでスピードが全然違ってきます。少しずつやるのと五輪までに全部、というのでは違うでしょう。羽田空港国際線ターミナルやJRの駅に端末を設置するにしても「五輪のためなら協力しましょう」ということになる。金銭面だけでなく、いろいろな協力が得られやすい状況をつくるためにも、どうしても五輪招致を実現させたいですね。
Q=今なぜ五輪招致なんだ、という声もあるようですが
A=日本の電子機器メーカーは今、勇気をなくしているような気がします。技術はあるんですが、それを製品化するには金がかかるし、実際に売れるかどうかを考えると、やめよう、となってしまう。ICT技術の内側にいる人間としては、非常に歯がゆい思いをしています。その意味でも五輪のイベント景気に期待したい。16年五輪は日本が勇気を取り戻す機会になるはず。日本の今後の少子高齢化問題を考えていくと、ムダをしている余力はない。高齢者の方も障害者の方も働らかねばならなくなるでしょう。であるならば、そのような方々が安全に街に出て行けるようでなければならない。そのためにはインフラをバージョンアップして少子高齢化に備えておかなければならないでしょう。これまでとはまったく違うインフラ整備のために、東京五輪が起爆剤になってほしいと強く思っています。
- ◆坂村健(さかむら・けん)
- 1951年(昭26)年、東京生まれ。東京大学大学院情報学環教授・工学博士。専攻はコンピューター・アーキテクチャー(電脳建築学)。84年からTRONプロジェクトのリーダーとして、オープンなコンピューター・アーキテクチャーを構築して世界の注目を集める。現在、TRONは携帯電話をはじめとしてデジタルカメラ、FAX、車のエンジン制御と世界中で非常に多く使われており、ユビキタス(どこでも、注4)コンピューティング環境を実現する重要な組込OSとなっている。さらにコンピューターを使った電気製品、家具、住宅、ビル、都市、ミュージアムなど広範なデザイン展開を行っている。
IEEE(米国電気電子学会)フェロー。第33回市村学術賞特別賞受賞。01年武田賞受賞。03年紫綬褒章。04年大川賞。06年日本学士院賞。
主な編著書は「ユビキタスとは何か」(岩波書店)、「変われる国、日本へ」(アスキー)、「ユビキタスでつくる情報社会基盤」(東京大学出版会)、「グローバルスタンダードと国家戦略」(NTT出版)、「ユビキタス、TRONに出会う」(NTT出版)、「21世紀日本の情報戦略」(岩波書店)、「ユビキタスコンピュータ革命」(角川書店)、「情報文明の日本モデル」(PHP研究所)、「痛快!コンピュータ学」(集英社)、「TRON DESIGN」(パーソナルメディア)など多数。
- チケットがあれば行きたい会場の経路など各種情報が映し出される
坂村教授は02年1月からYRPユビキタス・ネットワーキング研究所長も兼任している。東京・品川区にある同研究所内には16年東京五輪を想定したサイネージ端末が設置されていて、現実的なサービスを体験することができた。
電子チップが組み込まれたチケットを端末に近づける。「ポリョン!」という電子音とともに、ディスプレイには英語やフランス語で情報が映し出された。地下鉄の駅にある(と想定した)端末にチケットを向けると、画面には自分が今立っている通路の映像が現れ、太い矢印で会場へ向かう地下鉄の改札の方向を教えてくれる。これなら超アナログ人間でも戸惑いなくサービスを利用できそうだ。ナビゲーション機能を搭載したシニアカーも安全で乗り心地が良さそうだった。
坂村教授が提案するシステムは大会関係者、いわゆる五輪ファミリーにとっても気配りがされている。ファミリーが各自の立場や役職などをインプットした情報チップを身につけていれば、瞬時にその人がいる場所を特定できる。例えば混雑した競技場の客席をカメラで映し出すだけでIOC会長や委員、大会ドクター、通訳、大会ボランティアの所在が確認できるという。逆にそのような情報チップを持たない人物、テロリストやフーリガンの発見にも効果的だ。
IOC評価委員会が注目したのもうなずけるシステム。しかも五輪へ向けたインフラ整備が、その後の私たちの生活を大きく変え、少子高齢化やエコロジーに対応するものであるということは意外に知られていない。64年の東京五輪とはまったく違った形で、今後の東京、日本を豊かにしてくれる新しいインフラというものを実感できた。
※注4 ユビキタス
「ubiquitous」という言葉は本来、「遍在」「いたるところにある」を意味する英語。コンピューターの存在を意識することなしに、その機能を利用する状況を表現している。坂村健氏が84年にスタートさせた「TRONプロジェクト」の最終目標として「どこでもコンピューター」が掲げられた。
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