13~16日分をまとめて更新。

 【13日】

 現地休暇をいただく。といってもやることがなく甲子園へ。4試合をのんびり観戦。試合後は東京から甲子園観戦に来ているHさんが借りているウイークリーマンションへ。Kさん、Nさんも加わって「宴会」。Hさんはもう10年近く春夏の甲子園を全試合観戦している。以前はホテル住まいだったが昨年からウイークリーマンションに。洗濯機、冷蔵庫、ミニキッチン、ベッド、ユニットバス付き。駅からも近く「快適です」。

 【14日】

 4試合で計8本のホームランが出た。まだ大会第7日なのに26試合で37本。昨年の総本塁打数に並び大会記録の60本(06年)を上回るペースだという。済美・中矢監督の「強く、遠くにが合言葉です」というコメントが強く印象に残った。

 【15日】

 降雨のため中止。出場予定だった8校が午前6時半から順番に練習。前橋育英・飯島主将を取材。彼は5月に死球を受け左手首を骨折。それでも1回戦では本塁打を放った。1日順延となり16日は荒井監督の誕生日。「監督さんの誕生日を白星で飾りたい」とのことで、これを記事にした。なおこの日から一緒に埼玉大会を取材したS新聞の新人女性記者・Iさんが甲子園取材に合流。IさんはM新聞N記者とともに埼玉支局で県警担当をしており大の仲良し。私はこのコンビを「埼玉姉妹」と呼んでいる。甲子園がさらににぎやかになりそうだ。

 【16日】

 第3試合に私の担当チーム、花咲徳栄が登場。1回表に相手投手の立ち上がりを攻め5点を先制。しかし、その後なかなか追加点が入らない。それでも7回、2年生の4番・野村選手が左翼席へ甲子園初アーチ。この一発で試合も原稿も決まった。試合後、お立ち台に上がった野村選手を取材。そこへまるでサウナ風呂から出てきたかのように汗びっしょりのM新聞N記者も駆けつけた。おそらく灼熱(しゃくねつ)のアルプス席で選手の家族を取材していたのだろう。花咲徳栄のスクールカラーの水色の服を着て首には甲子園の文字が入ったタオル。すでに埼玉大会で小麦色に日焼けした顔は真っ赤にほてっていた。もう「ごくろうさん」と言うしかない。