花巻東・佐々木洋監督(39)は春夏通じ甲子園に7度出場。09年春には岩手県勢初の準優勝、13年夏には4強入りを果たした。菊池雄星(西武)大谷翔平(日本ハム)らを育てた若き名将は、岩手の選手で勝つことにこだわり続ける。

 花巻東のノックはきびきびと規律正しく、美しい。佐々木の打つ技術は約13年前、女子生徒によって磨かれた。神奈川・横浜隼人での1年間のコーチ経験を経て、00年に故郷・岩手(黒沢尻北高出身)の花巻東に社会科の教師として就職。1年目はバドミントン部の顧問。次の年は野球部のコーチに。だが3年目、新規で立ち上げる女子ソフトボール部監督に指名された。

 佐々木 ソフトも強くできないんだったら野球やっても強くできない。試されているんだ、と思いました。1年目で集まったのは元手芸部、文芸部とか(笑い)。ノックが捕れないので、捕らせてあげるように正面に打つ。そこから10センチずつずらしていって。(横浜)隼人でコーチしている時はただ打つだけ。ノッカーで選手って伸びていくんだ、自分の都合でやってたな、と思いました。

09年8月、初戦を突破し引き揚げる佐々木監督(右)と菊池
09年8月、初戦を突破し引き揚げる佐々木監督(右)と菊池

 素人ばかりの11人のチームながら、初めて参加した大会で1勝。その直後、学校から野球部の監督に任命された。その際、他県から選手をとることも許されたが、今まで通り、基本的に岩手県内の選手だけの方針を通すことに決めた。

 佐々木 岩手の子で勝負できる、と思ったんです。神奈川にいた時、神奈川と岩手の違いって何だろうと思ってたんですけど。岩手の中学生の大会を見たら、素材がすごくいいのがたくさんいた。素材は一緒。結局それを生かしてないんだ、と。

 最初は中学生に声をかけても相手にされない。「相当悔しかったです」と振り返る。だが05年夏に甲子園に初出場。樟南(鹿児島)に4-13と大敗した。

 佐々木 大恥かきましたね。甲子園での体の作り方や、試合の入り方など何も分かっていなかった。手のひらで遊ばれている感じでした。監督対談で枦山(智博)さんと握手している写真をずっと冷蔵庫に貼って、あっち13点、こっち4点、情けない、と書いて、ずっと貼ってました。県で勝つだけじゃなく、向こうで勝つ野球をやっていかないと、と気付きました。

12年10月、大谷(左)にアドバイスする佐々木監督
12年10月、大谷(左)にアドバイスする佐々木監督

 そんな中、入学してきたのが現西武の菊池雄星だった。雄星を擁して出た09年のセンバツでは、初勝利を挙げると、そのまま決勝まで勝ち進んだ。逸材を育てるのは「雄星で最初で最後」と思っていると、そのわずか1年後、雄星に憧れを抱き大谷翔平が花巻東に入ってくる。

 佐々木 (2人を預かり)とにかく幸せです。僕は実績がないですし、東北にはいいチームがいっぱいありますし。あいつら野球もすごかったんですけど、勉強もできるし、練習もやりますし、「お前らと違う」みたいに勘違いするところが全くなかった。

 岩手にいい素材がいることを、2人が全国に証明した。また、県内の球児たちが「プロ野球選手になりたい」と花巻東に集まるようになった。佐々木の「岩手から日本一」の方針は今も変わらない。

 佐々木 岩手県は昔は甲子園に出ることで満足していた。今は勝って帰ってこない方が大変。いいことだと思います。間違いなく変わったのは選手の素質じゃなく、指導者。選手の意識。なんとか日本一になりたいです。(敬称略)【高場泉穂】