松下電器(現パナソニック)野球部の元監督で日本代表チームのコーチを務めた鍛治舎(かじしゃ)巧氏(62)が、ソフトバンク松中らの母校、秀岳館(熊本)監督に就任することが26日、分かった。パナソニックの専務役員を3月31日で退任、4月1日から同職に就く。

 松下電器を率いて都市対抗4強、中学野球「オール枚方ボーイズ」監督としても中学硬式野球の全5冠を独占するなどアマ球界の名将。松下電器では西武潮崎や近鉄小池らを育て、オール枚方ボーイズでDeNA国吉らを育てた。高校野球指導者への転身。「一生の夢でした。選手たちの気持ちをくみとり、喜怒哀楽をともにして毎日を過ごしていきたい」。新天地への決意を語った。

 野球の指導者、パナソニックの企業スポーツ推進担当でJリーグのG大阪取締役も務める一方、春夏の甲子園を見つめてきた解説者の顔があった。85年から10年までNHKの高校野球解説委員。01年夏に初出場した秀岳館の解説を担当。丁寧で親身な語り口に感銘を受けた同校の中川静也理事長兼校長(83)との親交が、それを機に始まった。

 秀岳館は03年春を最後に甲子園から遠ざかる。「甲子園は選手にとっての目標。ただそこで野球人生を終えるのではなく、できるだけ長く有意義な野球人生を送れるような手助けをしたい」。熊本工や九州学院など群雄割拠の熊本で「3年で日本一を目指します」と、目標を高らかに掲げた。

 ◆鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)1951年(昭26)5月2日、岐阜県生まれ。県岐阜商で69年、比叡山(滋賀)・間柴(元ダイエー)から春の甲子園通算100号を放つ。大会は8強入り。早大では大学日本代表の4番を務め、東京6大学通算800号本塁打を記録。74年に松下電器(現パナソニック)に入社し、81年秋に引退。86年から91年まで同社監督を務め、89年から91年まで日本代表のコーチも兼任。「オール枚方ボーイズ」の監督も務め、13年には中学硬式野球日本一を決めるジャイアンツ杯など全5冠を独占した。