イチローが世界の頂点に立った。マーリンズのイチロー外野手(42)がパドレス戦に「1番右翼」で出場し、第1打席で捕安、第5打席で右翼線二塁打を放ち、日米通算4257安打に到達した。大リーグの通算最多安打記録であるピート・ローズの通算4256本を抜いた。日米合算のため、メジャーでは非公式記録だが、プロ通算25年間で積み上げた大記録。大リーグ通算3000安打までも、あと21本と迫った。

 少し照れたようにヘルメットを掲げ、スタンドとベンチに感謝の視線を向けた。日米通算3363試合、1万4339打席目。世界の頂に立ったイチローは、敵味方を超えて降り注ぐ拍手を背に、試合が止まった空間と景色をしっかりと目に焼き付けた。「ここに目標を設定していなかったので(祝福を)あまりやらないで、と思っていたんですけど」。試合後、照れ笑いを浮かべた一方で「ああいう反応をしてもらえると、すごくうれしかったですね」と、素直な気持ちも口にした。

 第1打席の捕前内野安打でローズに並び、迎えた9回1死一塁。代打スタントンが三ゴロを放ち、併殺で試合終了かと思われた。ところが、三塁手の二塁送球がそれたことで5打席目が巡ってきた。「言うまでもないでしょう。僕が持っていないはずがないですから。あそこでダブルプレーはないと信じてました」。歴史的瞬間を待つ観客が総立ちで見守る中、イチローは仕留めにいった。カウント2-1から134キロのチェンジアップを、痛烈なライナーで右翼線へ運び、ローズの記録を抜き去った。

 日米合算の記録。イチローは「ケチが付くことは分かっていた」と言うように胸中は複雑だった。ただ、カウントダウンを盛り上げてくれる同僚の気遣いには、胸が詰まった。「チームメートとして最高とハッキリ言える“子たち”です、年齢差から言えば。本当に感謝しています、彼らには」。年間200安打を継続していた当時は、重圧と孤独感との闘いだった。だが、42歳になった今は違う。「子たち」と呼ぶ若い同僚の笑顔に支えられながら、1本ずつ積み重ねてきた。

 その一方で、イチロー自身の反骨心は変わっていない。年齢に伴う衰えを指摘する声に対し、50歳までプレーする意欲も隠さない。「子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきた自負はあります。小学生の頃、毎日練習して近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』と笑われた。悔しい思いもしましたが、プロ野球選手になった。米国に行く時も『首位打者になってみたい』と言って笑われた。でも、2回達成したり…」。

 歴代最多に到達した今、イチローが見ているのは、あと21本と迫ったメジャー通算3000安打だけではない。周囲が不可能と考える常識にあらがい、そこへ向かって最善の準備を進める。そのスタンス、生き方は、92年のプロ初安打当時から変わっていない。オリックス時代の振り子打法にしても、当時の球界では「非常識」だった。「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にはある。これからもそれをクリアしていきたいという思いはあります」。前人未到の頂に立っても、イチローの視線は、上からではなく、さらに上へ向かっていた。【四竈衛】

 ◆イチローのペトコパークでの成績 136打数42安打の打率3割9厘、14打点、本塁打はなし。王ジャパンの一員として出場した06年の第1回WBC決勝で初代王者に輝いた思い出の球場でもある。