東都大学リーグで未勝利の新人が、プロデビュー戦で巨人から初勝利を挙げた。広島のドラフト2位ルーキー、薮田和樹投手(22)が、プロ初登板で初先発。初回にいきなり長野に1発を浴びたものの、5回2失点に抑えて白星を手にした。亜大時代は故障などに苦しみ脚光を浴びることはなかった。だが、女手ひとつで育ててくれた母の前で、150キロを超える直球を投げ込んだ。前日6月30日に黒田がサヨナラ負けを喫したショックを新人が見事に振り払った。

 右翼席を埋めたG党の地鳴りのような声援は耳に入っても気にならなかった。ドーム球場だけでなく、360度ファンに囲まれた中での登板も初めて。薮田は動じることなく、思い切り長い腕をしならせた。

 「勝てて良かったです。ホッとしています。内容を振り返れば良くないですが、勝つことができたので満足しています」

 1回表に2点の援護をもらったが、その裏、先頭の長野に先頭打者弾を浴びた。それでも「1軍の打者は失投を見逃さないと聞いていたけど、本当だな」と感じる余裕があった。直球は自身最速タイの153キロを計測。4回まで毎回4三振を奪った。3回同点に追いつかれるも、5回1死満塁は前日のヒーロー阿部と亀井を打ち取った。5回88球5安打2失点。代打が送られた6回表に味方打線が大量得点し、昨年九里以来となる初登板初先発初勝利。巨人戦に限れば、11年の福井以来の快挙だ。

 スタンドには女手ひとつで育ててくれた母昌美さんの姿があった。タクシーの運転手をしながら兄と2人を育ててくれた。決して裕福ではない環境でも、野球を続けさせてくれた。「野球で母に恩返しをする」。常に胸に秘めていた。しかし、岡山理大付では右肘の疲労骨折に苦しみ、亜大の4年間でも公式戦登板わずか3試合。日の目を見ることはなかった。それでも150キロ超の直球など、高い将来性で広島の一員となった。春季キャンプは2軍スタート。ゼロからプロとしての階段を上った。

 登板当日の朝には母から「平常心で頑張れ」とメールが届いた。薮田は絵文字を返した。「OK」。約束通りマウンド上で平常心を貫き、手にしたウイニングボールは母にプレゼントする。

 緒方監督は「プロ初登板で勝ちまでつけられてよかった。いいスタートが切れたと思う」と巻き返しへ新戦力台頭を歓迎した。充実の広島先発陣に、また新たな逸材が加わった。【前原淳】

 ◆薮田和樹(やぶた・かずき)1992年(平4)8月7日、広島県生まれ。岡山理大付-亜大を経て、14年ドラフト2位で広島に入団。長身から投げ下ろす直球は最速153キロ。落差の大きいフォークと佐々岡2軍投手コーチ直伝のカットボールなどを操る。子どものころから広島ファン。188センチ、84キロ。右投げ右打ち。

 ◆大学リーグ未勝利でプロ初勝利 11年7月20日にプロ5年目の山本一徳(ロッテ)がオリックス戦で初勝利。山本は早大時代、同期の大谷智久(現ロッテ)らに比べ登板機会が少なく、東京6大学リーグ通算12試合未勝利。

 ▼薮田がプロ初登板を白星で飾った。広島で新人投手の初登板初勝利は14年3月29日九里以来10人目。巨人相手にデビュー戦で白星は11年6月28日七條(ヤクルト)以来で2リーグ制後15人目となり、広島では97年4月25日黒田(完投)06年10月1日斉藤(先発)11年4月17日福井(先発)に次いで4人目。薮田はいきなり先頭の長野に本塁打。初登板で第1打者に本塁打は今年の4月19日浜田智(中日)以来67人目だが、その試合で勝利投手は07年6月9日大隣(ソフトバンク)以来4人目。セ・リーグでは76年4月10日早川(中日)に次いで2人目も、早川は救援デビュー。先発デビューでいきなり本塁打を浴びて勝利はセ・リーグ史上初。