野球殿堂入りが18日、東京都内の野球殿堂博物館で発表された。西武などで通算224勝を挙げたソフトバンク工藤公康監督(52)は、史上4人目となる候補者資格を得た1年目で選出された。

 晴れの舞台で、30年に及ぶ現役時代の日々が脳裏によみがえった。黄金時代の西武、弱小球団から日本一にたどり着いたダイエー、長嶋氏からラブコールを受けて巨人にFA移籍もした。中継ぎ起用を経験した横浜、古巣西武への復帰。戦力外から浪人の末の現役引退。これほど多くを経験した野球人は数少ないだろう。殿堂入りの栄誉に接し、工藤監督は言った。

 「後悔のない野球人生ではなく、後悔のたくさんある野球人生だった。でも、トータルで考えると、いい野球人生だったと思う」

 史上4人目となる「一発当選」の殿堂入り。14度の日本シリーズ出場は王氏に並び史上最多だ。そのうち、日本一を11度も経験した。工藤監督は一番の思い出を聞かれ、86年の日本シリーズを挙げた。広島との球史に残る激闘は第8戦にもつれた。1点リードの8回から登板。「野球をやって、初めて足が震えて、頭が真っ白になった。自分の踏み出す足の位置まで、届かないんだよ。あれだけ緊張したのは、200勝の時と2回だけ」。勝てば日本一の緊張感で制球が定まらなかった。それでも2回を無失点に抑え、胴上げ投手になった。

 成功の裏には、それ以上に失敗もあった。その繰り返しが、投手工藤を強くした。20代後半には不摂生がたたり、選手生命も危ぶまれた。「家族」が転機だった。「結婚してから、食事だけでなく、メカニックや理論を考えた。自分で学んで、選手にいろいろ聞くようにして、どうやって(打者を)崩すのかとか分かるようになった」。5人の子どもを持つ大黒柱として、強い責任感で野球と向き合った。

 昨年は監督就任1年目でチームを日本一に導いたが、「学ぶ姿勢は一生続く」という。今も籍のある筑波大で資料や論文を読み、体作りの理論を研究している。「自分の力だけで野球界を生きていくことはできない。育ててくれた監督、コーチ、家族を含め、みんなのおかげです。野球界に貢献していきたいし、多くの人に役立てるようにしたい」。感謝を胸に、野球界への恩返しを誓った。まずは3連覇という大きな目標を達成し、ファンに夢を与える存在になる。【田口真一郎】

 ◆工藤公康(くどう・きみやす)1963年(昭38)5月5日、愛知県生まれ。名古屋電気(現愛工大名電)から81年ドラフト6位で西武入団。95年からダイエー-巨人-横浜を経て10年に自由契約で西武復帰した。プロ野球最多タイの実働29年で通算224勝142敗3セーブ、防御率3・45。93、99年リーグMVP。最優秀防御率、最高勝率各4度、最多奪三振2度、ベストナイン、ゴールデングラブ賞各3度、87年と15年に正力賞。日本シリーズ出場14度は王(巨人)に並ぶ最多。西武、ダイエー、巨人で計11度の日本一。10年に西武退団後、1年の浪人を経て引退した。昨季はソフトバンク監督に就任し、1年目で日本一。現役時代は176センチ、80キロ。左投げ左打ち。