球史に残るスーパースターの転落…清原和博容疑者(48)は、華やかだった現役時代を終えた後、心身とも安定しない時期もあって、新たな目標を見いだせなかった。2人の愛息との野球を楽しみにしていたが、14年の離婚でその機会も激減した。引退後の喪失感が、大きく足を踏み外す一因になった可能性もある。

 最近の清原容疑者は、何よりも愛息の少年野球を楽しみにしていた。週末はグラウンドに出向き、時に指導することもあったという。14年9月の離婚後は元夫人が親権を持ったこともあり、対面の機会も限られていた。時にはグラウンドを借り切って親子3人で練習をすることもあった。ブログでは、その親子練習にダルビッシュが参加したことを報告していた。

 野球を通じた親子のコミュニケーションは、清原容疑者が引退後に初めて見つけたと言っていい、充実の時間だった。

 「オレは引退とうまく向き合えなかった。最近になってようやく…」。清原容疑者がそう話したのは、一昨年…14年の秋頃だった。08年限りの引退から5年の月日が経過していた。現役時代は誰よりも華やかだった。不調や故障などの苦悩も大きかったが、刺激と充実感に満ちた日々だった。それに比べ、引退後の穏やかな生活になじめなかった。「何をやっても満足感がなかった」。精神面のコントロールが難しくなり、診察を受けた時期もあった。心身とも不安定で、直前に仕事をキャンセルすることもあって周囲から不評を買っていた。

 現役時代に痛めた両膝は生活にも支障があり、最近までゴルフもできなかった。糖尿病でアルコールや食事も制限が必要だった。痛飲した際に血糖値が急上昇し、病院へ救急搬送されたこともあった。不自由が多い生活の中、やりがいを見つけられぬままに引退後の数年を過ごしていた。

 2人の息子が野球を始めるようになり、清原容疑者の様子が変わった。「長男はオレよりすごい素材だ」などと目を細め、時に厳しく指導していた。将来的にプロ野球の指導者に就く目標もあったが「今は息子たちと向き合う時間の方が大切だ」と話したこともあった。

 そんな清原容疑者にとって、離婚のダメージは大きかった。ある日、自宅に帰ると誰もいなくなる形で家族と別れた。家族と住んだマンションを引き払い、独り暮らしになった。コンビニエンスストアのおにぎりなどで食事を済ませることも多かった。薬物使用が報道されてからは仕事も激減した。最近になって、ようやくテレビ出演などが増えたところだった。

 いつから、どのような理由で薬物を使用したのか、現時点では明らかになっていない。引退後の喪失感や寂しさ、ストレスがきっかけになってしまったのだろうか。もちろん、どんな理由があろうとも違法薬物の使用は決して許されない。再び野球と、息子たちと向き合うためにも、すべてをつぐなって出直すしかない。

<引退後の清原容疑者>

 ▼09年1月 自伝「男道」(幻冬舎)を出版

 ▼同9月 銀座ホステスとの不倫旅行が週刊文春に報じられる

 ▼11年 営業イベントや講演会などのキャンセルを繰り返し、補償問題に発展

 ▼14年3月 週刊文春が薬物疑惑を報道。以降、メディア露出が激減

 ▼同9月 00年に結婚した亜希夫人と離婚

 ▼15年3月 母親の病気回復を願って四国お遍路参り

 ▼同4月 TBS系「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演、「自殺を考えた」ことまで明かして話題となり、再びメディアから出演や取材依頼が増えた

 ▼同8月 フジテレビ系「ダウンタウンなう」に出演、司会のダウンタウン浜田から「クスリやってるの?」と聞かれる場面も。「風邪薬はやりましたけど…恨みつらみを買っているんですよ」と否定

 ▼同11月 オフィシャルブログを開設

 ▼16年1月 福岡ヤフオクドームで開催された名球会イベントに登場