ヤクルト由規の弟で、BCリーグ・福島に所属する貴規外野手(23)が日刊スポーツに手記を寄せた。10年育成ドラフト3位でヤクルトに入団。1度も支配下登録されることなく、兄への嫉妬心に悩みながら退団。引退を思いとどまらせてくれたのが、兄「よっちゃん」だった。

 よっちゃん、僕はずっと兄貴がうらやましかった。甲子園で有名になり、ドラフト1位で入団して。プロでは日本人最速(後に日本ハム大谷が更新)もマークし、そんな兄と同じヤクルトでプレーするのは、本当にやりづらさがあった。僕はずっと育成で、ずっと由規の弟。そういう存在でしかなかった。野球がうまくいかない自分にいら立って、兄が敵に見えたこともあった。3ケタを背負う育成選手は、チームに必要とされてないと思ってしまう。野球をやめたい-。常にそういう気持ちだった。

 でも、そんな自分を救ってくれたのは兄だった。覚えているかな? 3年目の支配下期限が切れた13年の8月1日。よっちゃん、寮の部屋に来て説教してくれたよね。「お前、なんのために野球やってるんだ」って。正直、何も言えなかった。

 「お前は育成で、俺は支配下。お前の気持ちを分かっている、というのは違うのかもしれない。でもお前がやってきたことは見てきたし、結果も残してきた。俺も悔しいし、兄貴として支配下になって欲しかったけど、クビになったわけじゃない。急にヤル気がなくなったら、なりたくもないクビになってしまうぞ」

 兄の言葉に耳を傾けながら、僕は号泣した。

 兄はいつも真っすぐぶつかってくれた。ヤクルトを戦力外となった14年11月。トライアウトを受けても正直、本気になれなかった。そんなとき、よっちゃん、LINEくれたよね。

 「俺は投げられなくてつらいし、お前はクビになってつらいけど、両親に夢を見させてやってほしい。今やめてしまったら将来、兄弟で同じチームで野球することも、違うチームにいって対戦するチャンスもなくなる。俺は今、投げられてないけど、もう1回野球をやって、俺を奮い立たせて欲しい」

 その言葉があったから今も、福島ホープスで野球を続けられている。

 だから、そんな兄が育成選手になるとは夢にも思わなかった。背番号が3桁になる姿は想像できなかった。でも故障してからの兄は、本当に尊敬できる存在になった。僕は支配下になれない不満をプレーや態度に出してしまったけど、兄は投げられなくても表情に出さず、1軍マウンドに戻ることを信じて、ひたむきに取り組んでいた。

 今日は本当におめでとう。僕も今、本気でNPB復帰を目指している。いつか兄と対戦したいと、胸を張って言える自分がいる。よっちゃんもまだ、第一線で投げ続けてくれよ。打席に立って、マウンドのよっちゃんを迎える日まで、野球をやめるつもりはないから。(福島ホープス外野手)

 ◆佐藤貴規(さとう・たかのり)1993年(平5)1月29日、仙台市生まれ。北仙台小5年から北六バッファローズで野球を始める。仙台育英では3年夏に3番中堅で甲子園出場。10年育成ドラフト3位でヤクルト入団。1軍出場なく14年で退団。15年にBC福島ホープス入り。今季は41試合で打率3割2分2厘、3本塁打、30打点。180センチ、81キロ。右投げ左打ち。