プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月25日付紙面を振り返ります。2007年の1面(東京版)は、DeNA工藤公康投手です。44歳にして対戦13球団から白星を奪取しました。

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 ハマの不惑左腕が快挙を成し遂げた。横浜工藤公康投手(44)が24日の巨人12回戦(東京ドーム)で6回2失点と好投。古巣から初勝利を挙げ、プロ野球史上6人目の全12球団勝利を達成した。工藤は消滅した近鉄からも勝っており「現12球団+近鉄」は初めてだ。3位横浜が2位巨人を倒し、首位中日も敗れたため、3強が1・5ゲーム差に大接近。ペナントレースは後半戦開幕初日から、戦国セ・リーグの様相になってきた。

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 ヒーローインタビューの第1声が、工藤の気持ちを表していた。「やっと勝てました」。すっきりした表情から、自然と笑みがこぼれた。“4度目の正直”で古巣巨人から初勝利。「ここ最近では1番悪かった。東京ドームは、球が上がるとどうなるか分からない。低めを思って投げました」。投げ慣れたマウンドが、6回2失点というパフォーマンスを引き出した。

 4回だ。1−0とわずか1点リードの緊迫した場面。先頭二岡に中前打を許したが、ここからベテランの力を発揮した。続く新4番小笠原は、初球を内角137キロ直球でファウル。続く2球目、外のスライダーを振らせ、あっさり中飛。早撃ちする主砲を左右の揺さぶりで攻めた。5番李は内野安打で1死一、二塁とされたが、6番阿部は「開き直って投げた」139キロ高めの直球で空振り三振。後続も断ち0行進を続け、5回に味方の満塁弾を呼び込んだ。

 巨人に、勝てなかった。最初の2試合は7失点と5失点。今月4日(福岡ヤフードーム)は7回途中2失点と好投も援護なく、3敗目を喫した。同じ相手に3回も負けた悔しさ。あえて口にしなくても、取り返したい気持ちは強かったはず。この日、チームの誰よりも早く2時にグラウンドに姿を現すと、巨人李の早出特打ちをじっとながめた。普段は交わす古巣とのあいさつも、ほとんどなし。必勝の思いを秘め、集中力を高め試合開始を待った。もっとも、ただの敵ではない。今月初め、会田、林、深田といった巨人の若手投手と食事をした。「そりゃ、あれだけ長くいたから若手のことは気になるよ」。巨人在籍7年。後輩に変わりない。自然と野球の話になり、自分の考えを伝えた。球界最年長左腕は、もはや12球団の垣根を越えている。

 後半戦初戦に快勝し、2位巨人に0・5ゲーム差に迫った。大矢監督は「(初戦は)工藤と決めていた」。工藤も「初戦の大事さは僕も分かっている。監督の気持ちに応えられた」と喜んだ。指揮官の期待に応えた3勝目。白星の味は格別だった。

 ◆工藤が巨人から初勝利を挙げ、現12球団すべてから勝利を記録した。セ、パ12球団となった58年以降、全球団勝利は近鉄があった04年までに記録した野村、古賀、武田、楽天誕生後の門倉、吉井に次いで6人目。門倉と吉井は近鉄から勝利を挙げておらず、「現12球団+近鉄」から勝利は初めて。最も多くのチームから白星を挙げた記録にはスタルヒン、緒方俊明の15球団があり、13球団から勝利はパが8球団だった56年に毎日へ入団し、その後大洋、中日でプレーした小野正一(68年に13球団目の大洋から勝利)以来だ。また、44歳2カ月での巨人戦勝利は48年浜崎(阪急)の46歳7カ月に次ぐ年長記録。浜崎はリリーフ勝利で、巨人戦先発勝利では07年山本昌(中日)の41歳9カ月を抜く最年長記録となった。

 <工藤とっておきメモ>

 工藤はウイニングボールにフェルトペンでサイン、日付、そして「対巨人戦初勝利」と書き込み、左翼席に投げ入れた。「(巨人には)もう勝てないかも知れませんけどね」と冗談めかしたが、惜しげもなかった。通算218勝目。大量の記念球を手にしたはずだが、自宅には1球しか残っていない。04年の200勝達成のボールだけ。横浜での3つも、すべて投げ入れた。自分の記念より、ファンが喜んでくれれば−。その思いは確かに伝わっている。先日、今季2勝目(6月25日ロッテ戦)の記念球を受け取った子どものファンから、お礼のメールが届いた。「うれしいね」。勝ったときと同じくらいの笑顔だった。【古川真弥】