元巨人打撃コーチで王貞治氏(76)を指導した荒川博氏が4日午後、心不全のため都内の病院で死去した。86歳だった。

 巨人高橋監督も荒川博氏の日本刀を目に焼きつけていた。この日のOB総会前、東京ドーム内の野球殿堂博物館に足を運んだ。観覧の序盤に荒川氏が王貞治氏に素振りをさせた刀が飾られていた。ショーケース越しに放たれる鋭い光。自身もかつては長い竹の棒を振り、打者としての土台を形成させた。この時点では荒川氏が亡くなったことは公にはなっていない。何かに導かれるかのように伝説の日本刀の前に立ち、静かにうなずいていた。

 貴重な宝の山が展示されている殿堂博物館。現役時代を含めて、訪れる機会に恵まれなかった。だが監督1年目を終え、あらためて野球史に触れるべく、初めて踏み入った。1903年に早慶戦発祥のきっかけとなった挑戦状の手紙、自身も出場した04年アテネ五輪を病で出られなかった長嶋茂雄氏の背番号3の代表ユニホーム。「本や映像で知っていても実際に見るのとでは違う」と肌で感じた。

 最後に故川上哲治氏の巨人監督時代のユニホームに魅入った。「川上さんが自分と同じ41歳で監督になったのは恥ずかしながら初めて知った。長嶋さんも39歳で監督を始めた。自分も若いとは思ったけど、(より若い)上の方もいる。まだまだ頑張らないとね」。プロ入りする前から積み重なる巨人軍の歴史。荒川氏や川上氏が残したものを、高橋監督も次世代へと継承していく。【広重竜太郎】