プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月1日付紙面を振り返ります。2016年の1面(東京版)は松中信彦の引退を報じています。

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 昨季限りでソフトバンクを退団した松中信彦内野手(42)が現役を引退することが2月29日、分かった。19年間のプロ野球人生にピリオドを打つことを決意。今日1日、引退会見を行う。昨年10月に退団後、NPBでの現役続行を希望し、他球団からのオファーや入団テストの機会を待っていたが、自ら期限としていた2月末まで話がなかった。

 ホークスの一時代を築いてきた松中が、現役引退を決断した。この日、取材に応じた松中は、すがすがしい表情で、胸の内を語った。

 「この4カ月は最後の挑戦だった。自分の中でしっかり期限を決めて、わずかな可能性の中、悔いのないトレーニングをしたかった。精いっぱい、42歳なりに全力でできた。悔いはない」

 出場機会を求め、昨年10月にソフトバンクを退団。NPB他球団からのオファーを待った。例年通りグアム自主トレで体を鍛え、同時に他球団に自らを売り込む電話をかけ、入団テストも志願。だが、2月末までに応じる球団はなく、バットを置くことを決意した。

 「10月でやめていたら悔いは残っていたと思うけど、今は未練も後悔もないし、充実感でいっぱい。30代なら(支配下選手登録期限の)7月31日まで待つが、実戦から離れれば離れるほど目(動体視力)が衰える。先に延ばすほど不安が出てくる。人間、衰えは絶対にあるし、自分の中でうそをつきたくなかった」

 96年アトランタ五輪で4番を務め銀メダル獲得。同年、逆指名でダイエー入団。99年にレギュラーをつかみ、弱小チームを3度、優勝に導いた。04年には平成でこれまで唯一となる3冠王を獲得。小久保、井口、城島らとともに常勝軍団を築き上げた。通算本塁打は352本。内角打ちのうまさは球界屈指だった。

 「最初、弱かった頃にホークスに入って、強くなって、常勝軍団になった。ここまで育てていただいて、19年間ユニホームを着られたことは本当にありがたい。ファンの方にも感謝の気持ちしかない」。お世話になった王球団会長にもこの日、電話で感謝の思いを伝えたという。

 今後は指導者など、野球に携わる仕事を考えているという。「次の目標に向けて、いろんな勉強をしてみたい。中途半端では教えられないので、引き出しをもっと増やしたい」。

 ここ数年は出番が減っていたが、それでも代打で名前がコールされるたびに大歓声を受けていた。ファンに愛され続けた男は、惜しまれながら、19年間のプロ野球人生に幕を下ろした。

 ◆松中信彦(まつなか・のぶひこ)1973年(昭48)12月26日、熊本県生まれ。八代第一-新日鉄君津。96年アトランタ五輪では決勝のキューバ戦で同点満塁本塁打を放つなど銀メダル。同年ドラフト2位でダイエー入団。3年目の99年にレギュラーに定着し、04年に史上7人目の3冠王。06年WBCでは王監督の日本代表で4番を打ち世界一。ベストナイン5度(00、03~06年)ゴールデングラブ賞1度(04年)。オールスター出場9度。183センチ、97キロ。左投げ左打ち。家族は夫人と3男。

※記録と表記は当時のもの