ロッテ福浦和也内野手(42)が22日、西武24回戦(ZOZOマリン)の8回に右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は、15年に42歳11カ月で達成した和田一浩(中日)に次ぐ2番目の年長記録。

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僕が打てるようになったのは、福浦さんのおかげだ。プロ入りした時に思ったのは、一番すごい人のまねをしようということ。ロッテに入った僕にとっては、それが福浦さんだった。鹿児島・鴨池でのキャンプ中、正面から下投げしてもらった緩い球をセンターバックスクリーンに向かって打つ。いわゆるロングティーをしていた福浦さんに「一緒にやらせてもらっていいですか?」と聞いたのが始まりだった。

120メートル先のバックスクリーンに、競うように入れ合った。左右にずれてもダメ。どっちが多く入れるか、とゲーム性を持たせて楽しみながら打つうちに力がついた。そもそも、打撃フォームからしても福浦さんのまねだった。左打ちと右打ちの違いはあるけど、鏡を見ているようでまねしやすかった。ビデオの映像を流し、画面にテープを貼って、相手投手のクセや自分の打撃フォームの崩れを見抜く方法を教えてくれたのも福浦さんだったし、感謝しきれない。

一緒に長い時間を過ごす中で、今だから言える忘れられない話もある。04年4月のことだ。東京ドームでの試合で左ひざの半月板を割ってしまった。これは手術しかないな、と思った。その日は福浦さんと試合後に、横浜アリーナへBoAのコンサートに行く約束をしていた。福浦さんは「さすがに無理だな、サト。やめようか?」と気遣ってくれた。でも僕は「何言ってるんですか。どうせ明日、病院に行って、診てもらって手術になるんです。だったら今日は楽しみましょう」と強行した。

左足を引きずりながら歩く僕に、福浦さんはずっと肩を貸してくれた。横浜アリーナで周りの人から「あ、福浦だ!! 里崎だ!!」と指をさされたけど、おかげで楽しめた。そして想定どおり手術が決まって、チームを離れる時に「待ってるからな」と声をかけてくれた。「頑張れ」と言ってくれる人ばかりだった中で、福浦さんの「待ってるから」は、すごく心に響いた。そのおかげで1カ月で戻れたんだと思う。

いつも「ありがとうございます」と、ばかり言ってたけど、今日は「おめでとうございます」と言える。一緒に過ごした日々を振り返りながら2000安打を祝福したい。(日刊スポーツ評論家・里崎智也)