人並み外れた剛速球を武器にプロ野球や高校野球で活躍し「怪童」と呼ばれた尾崎行雄氏が13日、死去した。68歳の突然の悲報に、球界関係者からは悼む声が相次いだ。

 大阪・浪商高(現大体大浪商高)の先輩にあたる張本勲氏は「東映(現日本ハム)に入団したときは17歳。駒沢の合宿所で2年間一緒に過ごし、『ちび』と呼んでかわいがっていた」と懐かしんだ。右肩の故障に悩まされ、太く短い野球人生だったが「あんな投手はもう二度と出てこないだろう」と惜しんだ。

 浪商高の1年後輩の高田繁氏も「浮き上がってくるような剛速球。打者は分かっていても打てなかった」と当時を振り返った。法政二高で1学年上だった柴田勲氏は甲子園で名勝負を繰り広げた。「僕はコントロールで勝負するタイプだが、彼は剛球。球の速さは当時の高校生では打てなかった」と故人をたたえた。

 東映では1年目で20勝をマーク。南海で活躍した野村克也氏は「打席に立っていて、踏み込んで打ちにいくのに勇気がいるタイプの投手」と荒々しい投球を振り返った。楽天の星野仙一監督は「めちゃくちゃ球が速かった。うなりがあった」と言い、マスターズリーグで一緒にプレーした西武の渡辺久信監督は「優しくて本当にいい人だった」と故人をしのんだ。