西武の嶋重宣外野手(37)が3日、埼玉・所沢の球団事務所で引退会見を行った。(冒頭で)

 嶋

 今シーズンをもちまして引退することを決めました。CSのかかった大事な時期にすいませんという感じです。

 -今の気持ちは

 嶋

 引退する先輩方を見てきて僕だったらどうだろうなと思っていたけど、今はスッキリしています。

 -決断の理由は

 嶋

 今年に限っていえば、ある程度、調子よく打てていた時期もある。たまたま8月に打撃が好調で、打率3割5分打っていた。その時期に1軍に上がれないということは、潮時なのかな、ユニホームを脱ぐしかないかなと思いました。

 -気持ちが切れた

 嶋

 この世界は常に競争。若いとき、誰かが打てば悔しかった。今年に入って8月ごろですか、若い選手が打ってナイスバッティングと思っていた。そういうところが変わってしまったのかなと。勝負ごとの世界で優しさが出てしまった。潮時かなと思いました。

 -故障にも苦しんだ

 嶋

 慢性的なアキレスけん痛もありました。これだけ長くやっていると、体で万全な箇所というのは少ない。毎日調整して休んでる暇はない。そういうストレスはありました。

 -限界を感じたか

 嶋

 1年1年が勝負という気持ちで、引退と隣り合わせで戦ってきました。年齢を重ねていくうちに、オフシーズンがなくなってくる。みんなが休んでいる間、来年に向けて準備するために10月、11月から体を動かさないといけない。代打で出場するとして50~60打席のために、1年間ずっと体をつくり続けるプレッシャーというか、ストレス、気持ち的な苦しい部分をすごく感じていました。

 -思い出は

 嶋

 自分が首位打者をとった時、前の年は消化試合に2試合出ただけでした。秋のキャンプから、なにくそと思ってやって、徐々に認められて、努力が報われた。首位打者、最多安打、ベストナインをとれたことが思い出です。

 -首位打者は10年目だった

 嶋

 プロは非常に厳しい世界でした。相当の覚悟をもってやらないと厳しいと1、2年目に感じて、早い段階から明確にやるべきことを考えた結果が、10年目の首位打者につながったと思う。バッターは振ったもんがち、やったもんがちと思ってやってきて、結果として残せたのは自信になった。すごくうれしかったですね。

 -赤ゴジラと呼ばれた

 嶋

 春のキャンプからオープン戦の間についたニックネームです。活躍するかもわからない選手だったので、ある意味、それで顔を覚えてもらえました。その年に活躍できた。嶋選手じゃなく、赤ゴジラと呼ばれるようになったことが、1軍でやっているという実感がありました。

 -指導者への興味は

 嶋

 野球がすべてという生活してきたので、何らかの形では携わりたい。引退を決意して、まだ数日しかたってないので、ゆっくり考えたい。子どもに野球をやめると言ったら、早くディズニーランドに連れていってと言われました。まずは家族とゆっくり過ごしたいと思います。

 -野球とは

 嶋

 小学1年からはじめて、野球を通して礼儀を学んだし、相手を思いやる気持ち、スポーツは1人でやるものじゃないことがわかった。6年で投手をしていたとき、エラーした同じチームの選手ににヤジってしまい、父親に投げ飛ばされた経験があります。心技体があって、プレーがついてくる。気持ちの部分で学んだことが多かった気がします。

 -最初に伝えたのは

 嶋

 妻です。2軍の生活が続いて、引退を考える話もここ1年くらいずっと出ていました。よく頑張ったんじゃないの、というふうに話して終わっていたと思います。

 -感謝したい人は

 嶋

 両親です。1軍でプレーできる強い体に産んでくれた。これから恩返しをまだまだしていきたい。親をいつまでも大事に感謝していきたい。

 -後輩へのメッセージ

 嶋

 木村選手も含めて投手から野手に転向するプレーヤーが増えている。木村選手に言っているのは、オフに遊んでる場合じゃないよ。なにか一つを犠牲にして野球を集中しなさいよと。僕も好きなものを一つ捨てて、1日の生活の中で野球が占める時間が増えた。そうやって野球をやれば、神様がほほえんでくれるんじゃないかと、若い選手には言っています。

 -ファンへのメッセージ

 嶋

 広島、西武とすばらしいファンに恵まれて、愛情のある優しい言葉に励まされてプレーできました。選手は不安になる時があるけど、ファンの温かい声援が本当に背中を押してくれる。僕もそうだった。同じように、これからも選手たちを応援してくれたらうれしく思います。