王さん、ショック!

 ソフトバンク王貞治最高顧問(68)の兄鉄城(てつじょう)さんが20日午前3時46分、呼吸不全のため入院先の東京都内の病院で死去した。78歳。プロ入りから胃がん手術など、人生の岐路で支えてくれた最愛の兄の急死。58年、巨人入りを決断したのは兄のひと言がきっかけだった。ハワイでの名球会から緊急帰国した王顧問は「野球をやることを支援してくれた兄だった。早実、プロに行くときに親は反対したけども、兄は支援してくれた」とショックを隠せなかった。通夜は22日、告別式は23日、都内の「太宗寺」で行われる。

 傷心の緊急帰国だった。ハワイでの名球会に参加した王顧問はこの日、日本経由で馬英九総統表敬訪問のため台湾に向かう予定だった。しかし最愛の兄の訃報(ふほう)に急きょ入国。成田空港で出迎えた竹内球団最高執行責任者(COO)らと車に乗り込んで、東京都内の鉄城さんの自宅に向かった。

 午後6時40分、自宅兼病院に到着。無言の兄と対面した。次女理恵さんと姿を見せた王顧問は気丈に口を開いた。「安らかな顔でした。もう少し頑張れると思ったけど。うちのおやじからしたら、ひ孫までだいぶ人数がいるけど、まとめてくれた。早実、プロに行くときも親は反対したけど、支援してくれたね」と言葉を絞り出した。

 人生の節目で、鉄城さんの存在が大きかった。戦後の焼け跡で野球を始めたきっかけは、慶大医学部の野球部主将で4番打者の兄だった。「父は兄を医者にして、僕は電気技師にして里帰りするのが夢だったみたい」。58年、プロ入りも家族は阪神入りの方向で話を進めていたが、「貞治の意思も聞こう」という鉄城さんのひと言で、家族会議が開かれ、「実は…」と王顧問が巨人入りの希望を切り出せたという。

 実は現役引退も、恭子夫人(故人)と鉄城さんにだけ相談した。「ダイエーのユニホームを着る時は兄貴も家族も反対したなあ」と語ったこともある。06年7月に受けた胃がん手術では、鉄城さんの尽力があった。慶大病院に入院したのは医者である兄の紹介だった。執刀した北島教授は慶大医学部の野球部で主将を務め、当時の監督が鉄城さんだった。頭を下げて手術を頼んでくれ、迅速な対応に命を救われた。

 退任を発表した9月23日。当日朝に電話で辞意を伝え、試合後は福岡市内の中華料理店で水入らずの時間をすごした。翌24日の本拠地最終戦、10月7日の仙台での“最後の試合”も、鉄城さんはスタンドで観戦していた。「ただ1人の男兄弟であり、自分にとっては父親のような存在でした。ユニホームを脱ぎ、これから2人でいろんなことを語り合いたいと思っていただけに残念でなりません」と、無念さを漂わせた。50年のプロ人生を支えてくれた兄に、感謝を伝える時間はあまりにも少なかった

 [2008年12月21日9時47分

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