阪神元オーナーの久万俊二郎(くま・しゅんじろう=阪神電気鉄道元会長)氏が9日午後10時10分、老衰のため神戸市東灘区の甲南病院で死去していたことが分かった。阪神球団が13日に発表した。90歳。高知県出身。葬儀はこの日までに近親者で執り行われた。後日、お別れの会が開催される。シーズンの佳境で戦うチームに迷惑をかけたくない思いもあったのか。タイガースを愛し続けた久万氏らしい人生の幕引きだった。

 84年にオーナーに就任し85年に球団初の日本一。その後長期低迷した。OB監督路線を見直し、98年オフには外部から野村克也監督を招聘(しょうへい)。球団再建に本腰を入れた。さらに01年オフに野村氏が夫人の脱税事件で辞任すると、星野仙一監督を招聘。同一リーグのライバル球団で優勝経験を持つ大物監督を迎えて03年のリーグ優勝につなげた。この大改革の成功について「野村さんのまいた種を星野さんが咲かせた」とよく感慨深げに話していた。

 チームを愛するがゆえの歯に衣(きぬ)着せぬ言動でも有名だった。87年に掛布雅之が酒気帯び運転で事故を起こした際には「うちの4番は欠陥商品」。95年は低迷の続く中村勝広監督に「彼の作戦はスカタン」。最下位に沈んでいても「巨人には絶対勝て」とライバル意識をむき出し、ナインを叱咤(しった)した。

 08年には本社の相談役を退任。一線を退いてからも常に岡田彰布や真弓明信が監督を務めるチームを気にかけていたという。これからは天国から、タイガースを見守り続ける。

 ◆久万俊二郎(くま・しゅんじろう)1921年(大10)1月6日生まれ、高知県出身。東京帝国大学(現東大)卒業後、46年に阪神電気鉄道に入社。82年に社長となり、84年10月に球団オーナーに就任。04年に一場靖弘投手(現ヤクルト)に対するスカウト活動での金銭授与問題の責任を取り、オーナー職を退いた。08年7月に電鉄相談役を退任した。