昨年限りで現役を引退した前西武の工藤公康氏(48)が、このほど日刊スポーツと評論家契約を交わした。現役にこだわり続け、のべ5球団を渡り歩き、ボロボロの体で限界に挑戦したプロ30年。誰よりも長い足跡を刻んだ野球人生は、昨年9月に76歳で他界した父光義さんとの関係なくして、語ることはできない。引退秘話も含めて、野球人生を振り返った。

 評論家として新しいスタートを切ることになりました、工藤です。まずは30年間、応援していただいたファンの方々、本当にありがとうございました。昨年12月に引退を決めました。左肩の痛みがどうしようもなかったからです。今も左手では、ふとんをかぶろうとしてもできません。投げられるなら続けようと思っていましたが、こればかりは仕方がないことです。トレーニングを再開しましたが、体にハリがなくなっています。

 昨年は所属がなく、浪人という形になりました。最後に西武のユニホームを着て終われたのは、ありがたいことでした。戦力外となった2010年のオフ、アメリカでトライアウトを受けるつもりで練習していました。その時に、声をかけてくれたパ・リーグの球団もありました。トレーニング中にふくらはぎを痛めて、話はなくなりましたが、求めてくれるチームがあったからこそ、ここまでやってくることができました。

 なぜ、そんなに現役を続けたのか、とよく聞かれます。厳しい練習を必死でやって「おれ何やってんだろう」と自問することが何度もありました。40歳になって、不思議なことに嫌いだった野球が好きになりました。限界をつくるのは自分です。ひじを2度手術して、痛み止めを23年間飲んで、肩の腱板(けんばん)も切れてる僕が、何歳まで投げられるのか。なんでも「知りたい」性格が、原動力になっていました。

 衰えを感じたことはありました。巨人時代の41歳くらいの時に、イメージ通りのボールが突然、投げられなくなりました。真っすぐがいかなくて、極端にポンポンと打たれ始めました。評価をするのは他人です。「もう年なんだからやめろ」と聞こえてきたら、潮時かと考えていましたが、また練習して速い球を投げてやろうと思ってしまうのです。47歳で出した142キロが、全力で投げることができた最後の速球です。

 今思えば、後悔だらけです。まだ若くてやんちゃだったころ、毎晩のように飲み歩いて体を壊しました。勘違いしていることに早く気付けば、もっと投げられたかもしれません。そこから体のことを勉強して、科学的なトレーニングにも挑戦しました。今では40歳を超えてプレーしている選手がたくさんいます。工藤がやれるならおれも、と思う人がもっと増えてくれればいいです。僕のあとは山本昌(中日=46)が引き継いでくれるでしょう。

 練習がきつくてやめようと思ったことはありません。上下関係の厳しい世界ですが、理不尽さを味わった小さいころに比べたら、プロに入ってから精神的につらく感じなかったからです。怖かった父の影響があります。大の巨人ファンで、勝敗によって機嫌が変わりました。当時はゲンコツでしつけられました。野球を始めたのも無理やりで、野球が嫌いになるきっかけでもありました。

 一緒にキャッチボールをしても、構えたミットに投げられないと殴られました。そのうち、他の兄弟は誰もやらなくなりました。「外でシャドーピッチングをやってこい」と、冬にTシャツ姿で家の外に投げ出されました。自分からやめることは許されず、2~3時間は普通にやっていました。寒すぎて、耐える方法は休まずに体を動かし続けることでした。

 親が離婚して、食べ物に困るほど貧しい生活でした。「中学を出たら働け」と言われて、子どもながらに、生きていくための手段は野球しかないと感じ始めました。人は環境に適応しようとします。結果的には、野球の基礎技術を磨くのに必要な反復練習をひたすらやっていたのです。怒られないためには、嫌いな野球をうまくならないといけない。楽をして効率よく投げることを考えた結果が、投球フォームの原点でした。

 疎遠だった父が、昨年9月に病気で亡くなりました。「男に二言はない」「死ぬまで3回しか泣くな」が口癖でした。何度も日本一になりましたが、そのせいか涙が出たことは1度もありません。父が死んだから引退するわけではないけど、僕の中で一区切りついたのは確かです。誰よりも厳しかった父がいたからこそ、いまも野球の仕事に携わることができていると思っています。

 ここまで支えてくれたたくさんの人がいますが、野茂英雄(43)との出会いは特別でした。ダイエーからFAで巨人に移籍した99年オフ、報道であらぬ誤解を受け、家族も巻き込んで苦しませた時期がありました。野茂君と話す機会があり「敵も味方も半分ずつですから。何をやっても悪く言う人がいる。気にしない方が良いですよ」。多くの批判を受けながらも日本人メジャーの道を切り開いたパイオニアの言葉に、どれだけ救われたことか。

 年下でも、野茂君は尊敬しているし、引退後の活動にも興味をひかれます。社会人クラブチームを立ち上げ、野球界全体のことを考えているのがわかります。僕も引退してやりたいことが山ほどあります。今年も被災地をはじめとして野球教室に行き、子どもたちにはケガをしない体づくり、予防法などを教えます。野球アカデミーをつくりたいし、データをとって専門的な研究もしてみたいです。全部やるには、150歳くらいまで生きないと無理かもしれませんね。

 評論家としては、勝負の駆け引き、心理やそこに至るまでの過程、投球のメカニズムといった内容を、自分なりの視点で伝えていきます。海を渡るスター選手が増えましたが、日本でずっとやりたいと思わせるような魅力あるプロ野球にしないといけません。誰よりも長く現役生活をさせてもらった経験を生かし、さまざまな形で野球界に恩返ししていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。