<ヤクルト8-4広島>◇4日◇神宮

 ヤクルト宮本慎也内野手(41)は体に恵まれたわけではない。抜群のパワーもなければ、特別に足が速いわけでもない。入団時には当時監督の野村克也氏に、守るだけの選手という意味で「自衛隊」と評された選手が、なぜ2000本の大記録を打ち立てるまでになったのか。7つの理由を挙げた。(1)卓越した守備力

 宮本は「親からもらって感謝しているものは指先の感覚」と言う。送球時の正確なコントロールは群を抜いており、守備力でレギュラーを勝ち取り、守備でチームに欠かせない存在になっていった。そこからすべての可能性が開けていった。(2)記憶

 入団時から野村ID野球を学んだ。配球や攻め方を読み、早いカウントからも積極的に打ちに出る。相手を知ることで、対策に磨きがかかった。際どいボールはファウルで逃げ、好球を待つ。すべての「記憶」が、打撃の礎になった。(3)自己分析力

 宮本は四球が少ない。2000本達成時の通算371四球は、過去最も少ない(これまでは高木の381個)。昨季の17四球も規定打席到達者ではリーグ最少。例えば3ボールになる。自らを「非力な打者」と自覚する宮本は、相手投手は自分に四球は出したくないはずで、ストライクゾーンで攻めてくると読む。そこを狙い打つ。ボール別打率は、3ボールが最も高い(2割9分5厘)。自分を知る強さが、本塁打が最も少ない打者の記録到達につながった。(4)努力の人

 小学6年時で身長147センチと、少年時代から身体的に恵まれてはいなかった。PL学園では立浪、片岡らの1学年下。アマ時代は誰もいない夜のグラウンドで、打球がくるとイメージして守備動作をする「シャドーノック」を繰り返していた。プロ入り後も「守備の人」に甘んじず、個人トレーナーと契約しパワーアップに努めてきた。その成果で入団時68キロだった体重は、40代で83キロまでサイズアップした。詰まった打球が、内野の頭を越えるきっかけになった。(5)自己管理

 ナイターでも午前11時ごろに球場入りし、試合に備える。酒は飲めない。日本ハム稲葉ら、近年長く活躍を続ける選手は、酒量が少ないか、飲めない選手が多い。成績は30歳シーズンの00年に初めて3割をマークした晩成型。今季から大好きだったお菓子を控える。長年コツコツと続けてきた体調管理が、歴代最年長での2000本につながった。(6)気持ちの切り替え

 連敗中や連勝中でも、表情や態度は変わらない。05年から3年間、労組日本プロ野球選手会の会長を務めた。ストライキもあった04年の球界再編の余波が残り、会議や裁判の証言台に立った後で試合に臨むこともあったが、成績は下がるどころか上がった。昨季は東日本大震災の影響で、開幕が遅れた。強行開幕を目指したセ・リーグ首脳と折衝を続けた現選手会長の阪神新井貴は、その苦労を身に染みて感じる。切り替える術は、長いシーズンを戦う力にもなる。(7)リーダーシップ

 宮本の魅力にリーダーシップがある。時には厳しく若手を指導、教育できる数少ない選手。ヤクルトで欠かせない存在となった要因の1つであり、またアテネ五輪、北京五輪では日本代表のキャプテンを務めたように、宮本自身が貴重な経験をする機会につながった。年を重ねるごとに打撃に磨きがかかった一因といえる。