<オリックス2-3楽天>◇11日◇京セラドーム大阪
金字塔を打ち立てた。楽天がオリックスに逃げ勝ち、星野仙一監督(65)が史上12人目の監督通算1000勝を達成した。中日、阪神、楽天で通算15年目、1918試合目での到達だった。投手出身の監督としても、戦後生まれの監督としても、史上初。次の目標を問われると、力強く「2000勝だよ」とぶち上げた。チームは3連勝で借金1。交流戦前の勝率5割は、もう目の前だ。
星野監督は青山から記念球を受け取ると、無造作に右尻ポケットにねじ込んだ。「(阪神で)あのまま続けたら、ずっと前にやってたよ」と冗談めかしたが、投手出身では初。「投手の監督が少ないからだろ」と流したが、1000という数字には「選手とともに戦ってきた。そんなになるのかな。この年までやらせていただける。幸せだよね」と打ち明けた。
就任1年目の昨季は5位に沈んだ。再スタートの今春キャンプ。休みは1日だけ。沖縄・久米島で朝7時から動いた。初日を終え、日が沈んだ夜7時過ぎ。宿舎のプールサイドにドカッと座り、コーヒーを口にした。たばこの煙をくゆらせ疲れを癒やすと、力説した。「1日が長いな。10時間はグラウンドにいる。でも、これが当たり前になれば全体練習は3時間でいい。後は個人で。そうなった時、本当に強くなる」。明確な目標を描いていた。
志がある。一昨年秋の就任後に漏らした。「仙台に住むことになるとは思わなかったが、楽天なら新しい歴史をつくっていける」。伝統球団にはないテーマにひかれた。7年間でAクラス1度だけ。「このままでは、お荷物球団」と危機感を抱く。だから「この1、2年で変えないといけない」と本気だ。就任2年目。編成やスカウトに手を加え、コーチ人事を断行。キャンプ環境も整えた。ホームの球場入りを1時間ほど早め、コーチ任せが多かったミーティングで細かく指示を出す。「個々の力が分かったから。コーチは『しつこい監督だ』と思ってるんじゃないか」。なぜ点を取れない?
失点は?
ミスは?
具体的な指摘は、勝ち試合の後の方が多い。
中日、阪神のような潤沢な資金はない。「方針の違いは分かる。金の使い方を考えないと」。昨年、FA補強を検討したが、望み薄と痛感。外国人とドラフトにシフトした。人脈を使いテレーロを獲得。ドラフト1位は東洋大・藤岡を指名したが、監督個人は高校生投手を主張した。最後は球団方針に従ったが「明日を捨てることも大事」とぶれない。スカウト陣には「あなたたちの責任は重大」と意識を求めた。「やってられん、と思う時もある」が「やりがい、あるな。フフフ」と笑う。頭には「ポスト星野」がある。「良いものは残さないと。全ては俺がいなくなってから。将来、選手がコーチになり同じことを教える。それが伝統になる」。
次の目標を問われると、間髪入れず「2000勝だよ」と答えた。笑い声に「何、笑っとるんや」と笑って言った。1000勝は通過点。球団史に名を刻む仕事は続く。【古川真弥】
◆星野仙一(ほしの・せんいち)1947年(昭22)1月22日、岡山県倉敷市生まれ。倉敷商から明大を経て68年ドラフト1位で中日入団。82年引退までの通算成績は500試合に登板し146勝121敗34セーブ、防御率3・60。「巨人キラー」として巨人から35勝を挙げた。74年に最多セーブで沢村賞受賞。87年に中日監督に就任。中日で88、99年、阪神で03年に優勝し、プロ野球史上初めてセの2球団をリーグ優勝へ導き正力賞受賞。03年で勇退し、シニアディレクターとしてフロント入りした。08年北京五輪で日本代表監督を務め、3位決定戦で米国に敗れ4位。10年10月、楽天監督に就任した。180センチ、83キロ。今季推定年俸1億5000万円。
▼星野監督がプロ野球12人目の監督通算1000勝を達成した。初勝利は中日時代の87年4月12日巨人戦(3試合目)で、中日で766勝、阪神で153勝、楽天で81勝を挙げた。通算1918試合目で達成は8番目のペースで、王監督や野村監督より早く到達した。過去に1000勝以上挙げた監督のうち、プロで選手経験のない藤本監督を除いた10人の現役時代のポジションは内野手7人、捕手2人、外野手1人。通算39試合投げた川上監督や水原監督、別当監督、鶴岡監督は登板があるものの、現役時代のほとんどは野手。「投手出身」の監督では初の1000勝到達となった。



