<オリックス2-3中日>◇17日◇京セラドーム大阪

 中日の高卒ルーキーが決めた。ドラフト1位の高橋周平内野手(18)が、プロ初本塁打&初打点を決勝弾で飾った。同点で迎えた8回、オリックス寺原から左翼へ勝ち越しソロ。交流戦の連勝締めに導いた。昨秋のドラフトで、甲子園不出場選手では史上初めて3球団が競合した金の卵がお目覚め。大喜びの高木守道監督(70)は外野兼任プランもぶち上げた。

 高橋周は全力疾走していた。「レフトフライかなと思ったので」。だが打球はグングン伸び、本塁打ゾーンの左翼壁面にぶち当たった。「やったー!」。思わずほえた。ドラフト制導入後、史上最年少の1発は、決勝弾となった。

 高橋

 結果を気にせずとにかく思い切り振ることだけでした。でもまさか入るとは。振り切ったので伸びたのかな。思っていたより早く打ててうれしいです。

 1-1で迎えた8回先頭打席。マウンドには寺原がいた。小学校2、3年のころ、甲子園で最速158キロを出した姿は今も鮮明だ。「あの寺原さんですよ。速いってもんじゃない」。5月、2軍戦の初対戦で凡退しても感激が強かった。だがこの日仕留めたのは寺原自慢の145キロ真っすぐ。それも左翼へおっつけた。初のヒーローインタビューも喜びはひとしお。

 高橋

 出してもらってるのが結果につながってると思います。宇野さんや井上さんには、お前には期待してないと言われてますが。

 中日の高卒新人野手で88年立浪以来の開幕1軍を果たした。だが速い真っすぐや精度の高い変化球に戸惑い、2度2軍降格。「別世界。やっていく自信がない」と落ち込んだ。「ドラ1、いくらもらってんだ!」。だが強烈なヤジも浴びた2軍戦で4打席立つことで水に慣れた。フォームも試行錯誤。目線のブレを減らすため、スタンスは数センチ広げたものに改良した。

 ドラフトでは競合3球団の最後で、高橋の残り福を引いた高木監督も笑顔がはじけっ放しだ。「点が入らんああいう展開で打つのはスゴイよ。ファームで試合を経験してたくましさも出てきた」。起用の幅を広げようと、この日は試合前に初めて外野の守備練習も指示。「やっとけと言うたんだ。(外野出場が)あるかもしれん。こうやって打ったし、出さんわけにもいかんからね」。高校まで内野1本だが、外野での起用も選択肢に入れる大喜びだ。

 高橋

 このホームランがたまたまとならないように、頑張っていきたいです。

 交流戦の最終打席で魅せた最高の締めくくり。規格外な18歳がノッてきた。再開するリーグ戦で3連覇の使者になる。【松井清員】

 ◆高橋周平(たかはし・しゅうへい)1994年(平6)1月18日、神奈川・藤沢市生まれ。東海大甲府(山梨)で甲子園出場はないが、昨年8月にアジアAAA選手権日本代表に抜てきされMVP。高校通算71本塁打。昨秋ドラフト1位でヤクルト、オリックスとの3球団競合の末に中日が引き当てた。180センチ、85キロ。右投げ左打ち。

 ▼高橋周がプロ初本塁打。高卒新人の本塁打は10年10月7日筒香(横浜)以来で、中日では97年8月29日森野以来、15年ぶり。交流戦で高卒新人が本塁打を放ったのは初めてだ。高橋周の1発はスコア1-1からの勝ち越しアーチ。プロ1号が決勝アーチの高卒新人は06年3月29日炭谷(西武)以来で、ドラフト制後は7人目になる。高橋周は18歳4カ月で本塁打を記録。プロ野球の最年少本塁打は50年10月6日金田(国鉄)の17歳2カ月があるが、ドラフト制後では66年5月29日森安(東映)66年6月26日堀内(巨人)86年6月10日田中(日本ハム)89年5月27日谷繁(大洋)の18歳5カ月を抜いて最年少アーチとなった。