<中日2-4ヤクルト>◇10日◇ナゴヤドーム

 “ヤクルトのライアン”が、球団初となるルーキー2戦2勝で巨人猛追態勢を整えた。ドラフト2位の小川泰弘投手(22)が、中日2回戦(ナゴヤドーム)で7回1安打1失点(自責0)の好投で2勝目を挙げた。足を高々と上げる独特のフォームで、6回1死まで本家顔負けの無安打無失点に抑える好投だった。チームはエース館山の故障離脱など苦しい状態にある中で貯金1の2位をキープ。首位巨人を、そう簡単に独走させない!

 足を高々と上げ、ライアン小川が中日打線に真っ向勝負を挑んだ。「1球1球、責任を持って投げ込む」とカットボールを始めとした計7球種を駆使し、5回まで無安打投球。6回にボテボテの投ゴロを捕り損ねて招いたピンチから、ルナの初安打で1点を失った。それでも7回1失点(自責0)で、3日の広島戦に続く堂々の2勝目。負ければ借金生活突入の危機を救った新人に、小川監督も「勝てたのが良かった。前回、今回といい投球をしてくれた」と感謝しきりだった。

 豪快なフォームだけに目が行きがちだが、長所は「攻め」の姿勢にもある。身長171センチは小柄な部類に入るが「自分の球を信じています」と自信を持って言う。こう断言できるようになった背景に、成章高2年時の苦い経験があるという。東海大会で宇治山田商高の中井(現巨人)に、外角中心の配球から本塁打を食らった。当時監督だった糟谷寛文氏(61)が3年生捕手を「逃げるな」と叱るのを目にした。糟谷氏は「近くで聞いていて逃げてはダメだと分かったと思うんです。あの本塁打から内角を攻められるようになった」と振り返る。

 そこに「ライアン投法」がマッチした。創価大3年夏、ノーラン・ライアン氏の著書を読んで身につけた独特の投法で「球の出どころが見にくくなった」と投球術が向上した。大学時代に担当した斉藤スカウトが「ピンチになっても顔色ひとつ変えず内角を突いていた」と言うように、最高のフォームを手にして攻めの姿勢を貫く自信が増した。

 プロでも同じだ。中日の両外国人にも「内角を突かないと次の球は生きないですから」と、ひるまず攻め込んでから変化球で空を切らせる必勝パターンに持ち込んだ。両親らが見守る中、地元での凱旋(がいせん)登板を白星で飾って「お世話になった方々の前でいい投球ができて良かった」と話すライアンを、小川監督も「しっかり(内角に)投げきれる。マウンドさばき、投手としての資質が素晴らしい」と絶賛した。

 故障者続出のチームに、ライアンの活躍は大きい。開幕投手の館山が長期離脱し、前日9日は1安打完封負けと嫌な流れが漂い始めていた。しかも、負ければセ・リーグで貯金があるのは巨人だけという状況を招くところだった。小川監督は「この1勝は大きい」。巨人の背中は、まだ先。それでも「まだ始まったばかり。もっともっと頼りになる選手になりたい」と力を込めたライアンが、追撃の旗手となる。【浜本卓也】

 ◆小川泰弘(おがわ・やすひろ)1990年(平2)5月16日、愛知県生まれ。成章高では3年春に21世紀枠で甲子園出場。創価大では東京新大学リーグ通算36勝3敗、23完封。最高殊勲選手5度。12年ドラフト2位でヤクルト入団。171センチ、80キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1200万円。

 ◆ノーラン・ライアン

 1947年1月31日、米テキサス州生まれ。65年ドラフト12巡目でメッツ入りし66年に初昇格。エンゼルスに移籍した72年以降の8年で7度の奪三振王に輝くなど、通算5714奪三振は2位ジョンソン(元ジャイアンツ)を800個以上引き離す。7度のノーヒットノーランも歴代最多。91年アストロズでは44歳3カ月と1日のノーヒッター達成最年長記録も樹立している。通算324勝292敗、防御率3・19。99年に殿堂入り。現在はレンジャーズの最高経営責任者(CEO)と球団社長を兼務する。