【サンディエゴ(米カリフォルニア州)8日(日本時間9日)=四竃衛】大リーグのパドレス、レンジャーズなどで活躍し、06年WBCで日本代表のクローザーを務めた大塚晶則投手(41)が、07年以来6年ぶりに実戦マウンドへ復帰することが確実となった。相次ぐ故障によるブランクがあっても現役引退はせず、リハビリを続けてきた。本格的な投球を再開できるまで回復し、復帰を決意した。すでに日本の独立リーグ、BCリーグの信濃グランセローズ(長野)が獲得に興味を示しており、近日中にも入団交渉が具体化する。今季中にNPB球団への復帰も視野に入れており、極めて異例な“奇跡の復活”に挑戦する。

 復帰を決意するきっかけは、今年3月だったという。何げなく5カ月ぶりのキャッチボールをした際、不思議と右ひじの痛みが消えていた。大塚は「故障して以来、こんなに思い切り腕を振れたことはなかったですね」と言う。5本の手術痕が残る右ひじには、マウンドから離れている6年間いつも痛みが伴っていた。だが、スポーツ医学、投球動作の研究などの結果、負担のかからないフォームを見つけた。

 大塚は「恐怖心もなく、150キロ近くの球が投げられる感じもある。今は試合で投げられる自分が想像できるようになりました」と好感触を得て、復活への舞台を探し始めた。日本の独立リーグ、BCリーグの信濃グランセローズが獲得に興味を示しており、近日中にも交渉が具体化する。また、大塚はBCリーグでの復活を足掛かりとし、今シーズン中にNPB球団への復帰も視野に入れている。野球協約で定められた新規契約の期限は7月31日。残された時間は少ないが、大塚は話題作りなどのためではなく、あくまで本格的な復活を目指している。

 大塚はレンジャーズ時代の07年7月1日のレッドソックス戦以来、試合のマウンドに上がっていない。約6年間のブランクがあるものの、現役引退はしていなかった。「もう1度マウンドへ」という思いでリハビリを繰り返してきた。故障当初はさまざまな治療方法を探ったため、最初の手術を受けるまで1年を要している。その後、練習を再開するたびに痛みがぶり返し、病院通いが続いた。考えられる限りの治療を施し、専門的な最新機器も利用した。だが、完治には至らず計5回も右ひじにメスを入れた。

 それでも引退という道は選ばなかった。一時は真剣に左投げにまで挑戦。昨オフ、古巣パドレスからスカウト就任の話が出たときには、気持ちが揺らいだという。だが、現役への思いは消せなかった。「家族を考えれば不安もありました。ただ、往生際が悪いというか、しつこいというか…」。

 長いブランク、そして41歳という年齢からも、復活への道は決してやさしくはない。だが、今の大塚には、マウンドに立てる喜びしかない。野球界のみならず、スポーツ界でも異例の復活に挑戦する。

 ◆大塚晶則(おおつか・あきのり)1972年(昭47)1月13日、千葉県生まれ。横芝敬愛-東海大-日本通運を経て96年ドラフト2位で近鉄入団。98年38セーブポイント(3勝35セーブ)で最優秀救援投手。02年オフにポスティングシステムで大リーグ移籍を目指すが入札がなく、中日移籍。03年オフに同システムでパドレス移籍。06年トレードでレンジャーズ移籍。同年3月の第1回WBCでは胴上げ投手となった。大リーグ時代は183センチ、92キロ。右投げ右打ち。

 ◆過去5年間の大塚右肘手術

 ▽08年7月

 トミー・ジョン(腱=けん=移植)手術

 ▽09年8月

 右肘内骨片除去手術

 ▽10年1月

 2回目のトミー・ジョン手術

 ▽11年9月

 右肘内骨片除去及び神経移行手術

 ▽11年10月

 右肘神経移行及び腱再生手術

 ◆BCリーグ

 北信越5県と関東1県を活動地域とするプロ野球の独立リーグ。07年スタート時は長野(信濃)、石川、富山、新潟の4県に各1チームずつ配置し、08年に群馬、福井が参入。6球団によるリーグ公式戦は1球団あたり年間72試合。2地区制で前後期制。プレーオフで優勝を決める。NPBに過去在籍した現役選手は大家友和(富山)木田優夫(石川)甲斐拓哉(信濃)ら。信濃は初代監督が元日本ハム木田勇氏。現在は元大洋、日本ハムの岡本哲司監督で、元日本ハムの三沢今朝治氏が代表取締役社長。9日現在、6勝5敗で地区2位。