<巨人3-2中日>◇30日◇東京ドーム

 巨人西村健太朗投手(28)が、10年目で師匠の半歩前に出た。中日戦の9回に4連投で登板し33セーブ目をマーク。上原(現レッドソックス)が07年にマークした、日本人の球団最多セーブを上回った。練習熱心な2人は共鳴し合い、10歳差、日米間の距離を超え、絆を深めていく。その歩みに潜入した。チームは6連勝で優勝マジックを21とした。

 開幕直後と7月中旬、西村は2通の携帯メールを受信した。最初は「オレは今年、リリーフからスタートだ。お互いに頑張ろう」。2通目は「オールスター初出場おめでとう。遠慮しないで、たくさん質問するんだぞ。でも、もうオレが言わなくても、大丈夫だな」だった。送り主はレッドソックス上原だった。

 2人の縁は、05年の晩秋に原点があった。そのオフに就任した原監督は、第2次政権の初年度だった。Bクラスからの立て直しを図り、主力選手にも秋季キャンプ参加を命じた。上原は当時30歳で、参加投手の最年長。西村は最年少だった。毎日のように食事に誘ってもらった。「1人で所在なさそうな僕に気を使ってくれたんでしょう。緊張して話せませんでした。うなずいて、上原さんの話を聞いているだけでした」と、懐かしそうに打ち明けた。

 孤高のエースだった上原は「自分をしっかりと持って練習に取り組んでいる」と、当時20歳の青年を見込んでいた。冬のジャイアンツ球場を2人で独占した。日が落ちるまで、カルガモの親子のように外野を走り、遠投を繰り返した。西村は「何かを教わったのではない。姿勢を教わった」と当時を振り返った。

 「師匠」と慕う上原が海を渡ると、メールで近況を報告するようにした。返信をやりがいとした。今年はその文面に変化があった。上原は今季、リリーフからレ軍の抑えにのし上がり、メジャーでの自己セーブ数を更新した。切磋琢磨(せっさたくま)する存在として認めてもらった「ヒナ」は「皆さんに感謝です。上原さんの数字は超えましたが、足元にも及ばない存在です」と素直に言った。

 誓いを秘める。「去年、日本一のマウンドは山口さんだった。あの場所に立っていたい」と、13年シーズンの幕は自分で引く。もう1つ。「チームが勝てばいい」の口癖に隠れ、巨人の抑えを張るにふさわしい感情が、心根から湧き上がってきた。「まだ完全な信頼はもらっていない。それでもチームが勝つことは、僕のセーブに直結する。タイトルを狙ってみたい」。珍しく、小さく強く握った33セーブ目の右こぶし。覚悟が宿る。【宮下敬至】