ソフトバンク秋山幸二監督(51)がドラフト外入団野手として初めて野球殿堂入りした。野球体育博物館の表彰委員会が17日、プレーヤーズ表彰で野茂英雄氏(45=元近鉄)佐々木主浩氏(45=元横浜)とともに選出。俊足強打の外野手。トリプルスリーを達成するなど野球センスの塊から「メジャーに最も近い男」と呼ばれた。発表式では3年前に他界した母ミスエさん(享年85)に感謝の言葉を述べた。

 ブロンズ製の表彰レリーフが壁に並んだ野球殿堂ホール。秋山監督は少し上に目をやり、産んでくれた天国の母ミスエさんに感謝した。「野球を始めたきっかけもおふくろ。この世界に入って選手で22年もやって、喜んでくれていると思う。けがしない体に生んでくれて。筋肉はつくりあげたものもあるけれど、遺伝的なものもある」。時折首をすぼめるしぐさで照れを隠した。

 大学進学の予定を母の後押しもあってプロ入り。熊本から埼玉の西武球場によく応援に来てくれた。一緒に西武黄金期を築いた東尾氏がゲストスピーチで「お母さんがバスに入ってきて『うちの幸二をよろしくお願いします』って言ったのを覚えている」と昔話をすると、秋山監督は顔を真っ赤にした。

 抜群の打撃センス、守備力、走力で80~90年代を代表するスラッガーだった。85年から9年連続で30本塁打以上をマーク。87年には43本塁打でタイトル獲得。鮮やかな放物線を描くことから“アーチスト”と呼ばれた。89年には打率3割1厘、31本塁打、31盗塁で史上5人目のトリプルスリーを達成。90年は51盗塁で盗塁王に輝いた。99年に史上2人目の「通算400本塁打&300盗塁」、00年には2000安打。野球留学した米球界からも注目され、デストラーデら助っ人たちもメジャーでの活躍に太鼓判を押し、いつしか「メジャーに最も近い男」と呼ばれた。「通用しなかったと思うよ」と謙遜するが、全盛期を知る人々の証言は尽きない。

 陸上選手だった両親のDNAを受け継いだ運動センスを熊本・氷川町の自然で磨いた。86年日本シリーズで本塁打を放った際のバック宙ホームインは、幼少期に田んぼにかき集めたわらの上で練習していたことで有名。町を流れる氷川で泳ぎ、水中銃や投網で魚を捕まえ、山を駆け回ってわらびやツワを採って食べた。

 「川や山で遊ぶと想像力が身につく。山道をどう進むか、どうすれば魚を捕れるか。自分で考える。それは野球も一緒だった」。

 小学校の体育の走り高跳びでは1人だけ“見学”し、先生のお手本と仲間の失敗を見続けると1度で背面跳びを決めた。我慢強い分析眼がセンスを引き立てた。フォーム固めの際に“アーチスト”は絵描きになる。「打席のラインから何センチ離れているとか、立ち位置や歩幅をノートに絵で描いてね。毎日違う絵になっていくんだよ」。コツコツと努力する才能もあった。

 02年の引退まで西武とダイエーでリーグ優勝10回、日本一7回に輝いた。常勝軍団の流儀を弱小チームに持ち込み、初の日本一に導き、今は指揮官。「自分の仕事を全うすること。盛り上げて、ファンの方にたくさん来てもらえるようないい試合を多くしたい」。ドラフト外入団から殿堂入りの栄誉に3年ぶり日本一で花を添える。【押谷謙爾】

 ◆秋山幸二(あきやま・こうじ)1962年(昭37)4月6日生まれ、熊本県生まれ。八代高から80年ドラフト外で西武入団。87年本塁打王、90年盗塁王。85年から9年連続30本塁打をマーク。93年オフにトレードでダイエー移籍。00年8月に通算2000安打を達成。91、99年日本シリーズMVP。02年に引退。09年からソフトバンク監督。10、11年とリーグ優勝し、11年は日本一。91年に選手、11年には監督で正力賞を受賞した。ベストナイン8度、ゴールデングラブ賞11度。185

 センチ

 、85

 キロ

 。右投げ右打ち。